成蹊大学名誉教授の加藤節(たかし)氏は、同大法学部の教員として2013年に退職するまで、
40年以上教壇に立ち続けてきた。
数多くの学生を指導してきたが、その中に若き日の安倍総理もいた。
加藤氏は「『優』や『不可』をつけた記憶がないから目立たない学生だったのだろう」と振り返る。
難病を抱えていたのだから、本当はもっと早く辞めるべきだったのかもしれません。
持病である潰瘍性大腸炎は完治しない病気だと言われます。
自分ならやれるという思いもあったのでしょうが、そこは自己認識が甘かったのではないか。
本来の自民党総裁の任期だった2期6年(2018年9月まで)が限界だったと思います。
この時点で森友、加計問題も含めて長期政権の“ゆるみ”が表面化していたのに、
自民党が党則を変更して、総裁任期を連続3期9年までとしたことは悪手でした。
選挙に強いという理由で、安倍さんをずっと持ちあげて、辞めさせなかった周りにも責任があると思います。
それによって、引き際を誤ることになった。そういう意味では、個人的には同情します。
ただ、安倍さんが病気で辞めたことと、政権が行ってきた政策の総括とは別です。
安倍政権の検証がなされたうえで、次の政権はスタートするべきであり、
首相が病気だからという理由で議論をストップさせてはいけません。
率直に言って、僕は安倍政権には「負の遺産」しか見つかりません。
なかでも3つの点で、非常に問題がある政権でした。
1つ目は立憲主義を否定して法的安定性を崩壊させたことです。
2015年に閣議決定だけで解釈改憲を行い、集団的自衛権を合憲化してしまいました。
これは歴代政権で誰もやったことのない暴挙です。
憲法解釈を内閣だけでやれるとなれば、何でもできてしまう。
内閣法制局長官の首をすげ替えて、解釈改憲を可能にさせたことも前代未聞です。
検察庁法改正案も含めて、司法や検察の人事に内閣が介入し、三権分立の破壊を招いた。
政治が最も尊重すべき法的安定性をないがしろにしたことは重大な失政です。
2つ目は、政権全体に無責任体制が敷衍(ふえん)したこと。
政治はあらゆることに結果責任が伴いますが、安倍さんは閣僚の任命責任を一度も取っていません。
閣僚が不祥事を起こすたびに「責任を痛感している」と繰り返すだけで、責任を「取る」ことをしない。
財務省公文書改ざん事件で近畿財務局の職員が亡くなったことに対しても、
麻生太郎財務相、安倍首相ともにまったく責任を取る様子はない。
こうしたトップの姿勢が政権全体、ひいては官僚組織における無責任体質につながりました。
3つ目は長期政権の病理です。
よく「安倍一強」といわれましたが、これは選挙に強く他に対抗馬がいないというだけです。
政府・与党内での政策論争が全くないので、実は政治的には非常に脆弱な政権でした。
安倍一強と言われたこの8年弱は、まったく政策論争が行われなかった。
そこまで自民党の力が落ちてしまったということです。
安倍さんはよく「悪夢のような民主党政権」と言いますが、
野党時代の自民党が与党にどういう批判をしていたのか完全に忘れている。
東日本大震災、原発事故対応について自民党は民主党を痛烈に批判しましたが、
では今のコロナ対応はどうなのか。
そうした他者批判を自己批判に向けるという姿勢がまったくないのです。
その謙虚さがないから、強くならない。相手をたたくだけで満足してしまう政治になってしまいました。
もちろん、これは今の野党にもいえる課題です。
安倍さんは65歳という年齢の割には、とてもチャイルディシュ(子どもっぽい)だという印象です。
国会での品のないヤジをみると、人間的には未熟に感じます。気持ちを抑えられないのでしょう。
すぐに「悪夢のような民主党政権」と言うのも、先ほど述べたように、
他者批判を自己批判に向けられない人の典型です。これも子どもの所作です。
そうした未熟さがあったから、側近たちに、間違った知恵をつけられて信じてしまった部分もあるのかもしれません。
コロナ対応における、アベノマスクや自宅で犬とくつろぐ動画配信などは、
どう考えても民意を見誤っています。政権末期は、自分がどう見られているか、
国民がそれをどう感じるかという視点が決定的に欠けてしまっていました。
これは安倍さんだけではありませんが、2世、3世議員が多くなり、
政治家が「家業」になってしまったことも大きな問題です。
これでは政治家の資質そのものが落ちて当たり前です。政治家は国民の命を預かる仕事です。
そのためには、歴史書を含めて多くの本を読み、人類の歩み、知恵を学ぶ必要があります。
人類の歴史や人間の在り方について高い見識がない人は、本来はやってはいけない仕事だと思います。
そういう意味で、安倍さんにはもう少し謙虚に勉強してほしかった。
僕が彼を指導したという自覚はまったくありませんが、僕の授業を聞いていたはずなのだから、
もうちょっと知的に自分を鍛えてほしかったと思います。いまさら言っても、もう遅いですが(笑)。
これまでの首相としての政治生活を、反省的な目で振り返ってほしいです。
トランプ大統領から古い戦闘機を押し付けられても買ってはいけない、
消費税を上げないことを争点にして解散総選挙をやってはいけない、
私利私欲で花見の会を開いてはいけない、
品位に関わるので国会ではヤジを飛ばしてはいけない……そういう当たり前のことです。
でも今、報道などで伝わってくる安倍さんの思いは、
「石破さんを次期首相にはさせたくない」という執念だけ。
やはりまだ権力への志向性が強く、敵をやっつけることが好きな性格が抜けないのだと思います。
利害配分や言葉による説得などを用いることで敵を中立者に変え、
中立者を味方に変えていくのもまた政治です。
紛争の解決が政治の目的だと言われますが、紛争を起こさない解決を目指すことも政治の役割です。
このあたりは、政治思想史学者の丸山真男の著書に詳しく書いてあります。
安倍さんも首相を辞めたら、前よりは時間があるだろうから、
ぜひ丸山真男を読んで勉強してもらいたいですね(笑)。
(AERA dot.)
‘@私が日頃述べている見方と同様の見方をしている加藤教授。
安倍総理は、こんなに素晴らしい教授に学んでいたのに、どこでどう間違えたのか。
それとも、加藤教授が「安倍さんは目立たなかったのだろう」と述べているように、
講義に出ていなかったのか、出ても寝ていたのか。
この教えが基本にあれば、もう少し真っ当な総理になっていた。
私が気付いたのは、安倍政権の評価で大きく分かれるのは、
利益を得る人と得ない人で評価が大きく分かれる気がする。
例えば、加藤教授は利益を得ない。
私も利益を得ない。
そして、加藤教授が安倍政権について述べていることは全て事実。
だとしたら、どう考えても高評価には繋がらないどころか低評価でしかるべき。
しかし、株価が上がり利益を得ている人。
大手企業に勤め、業績も収入も順調に伸びている人たち。
とりあえず、就職に困らず、バイト代も上がり、親からの援助もそれなりに豊富な層。
そういった人たちはそれなりに評価するのだろう。
内容よりも自己の利益において。
利益を得ていない人の中で、加藤教授などのように冷静に物事を見る人と、
安倍政権の格差のお陰で不利益を被り、とにかく否定する人たちにも分かれるのだろう。
そして、多くの人が一国の首相と、どこかの代表を同レベルに考えている人も多くいる。
私も散々述べたが、加藤教授も述べているように、
「難病を抱えていたのだから、本当はもっと早く辞めるべきだったのかもしれません。
自分ならやれるという思いもあったのでしょうが、そこは自己認識が甘かったのではないか。」
安倍総理自身、危機管理を強調して、憲法を勝手に解釈して合憲化した。
自身の危機管理には至らなかった。