医師・看護師25人が退職。
コロナ専門病院となってから約7カ月が過ぎた。
専門病院化は松井一郎市長の「トップダウン」とされ、突然の方針決定に現場は揺れた。
入院患者や出産予定者の受け入れ先探しは難航し、
職員は周囲からの誹謗中傷に悩まされ、本格稼働後は離職者が相次ぐ。
「まさかうちがと、びっくりした」。
西口幸雄院長は、松井市長が4月14日に専門病院化を表明した当時のことを振り返る。
病院を運営する地方独立行政法人大阪市民病院機構や大阪大の幹部、
松井市長らが出席したコロナ関係の会合で「大阪市で感染者が多い」「民間では難しい」との理由で、
十三市民病院をコロナ専門病院にする案が浮上。松井市長が賛同したという。
その直後、機構の幹部から西口院長に「新型コロナの専門病院になることを承認した」と電話で告げられたという。
方針決定の2日後には、外来診療や手術をストップ。
約200人いた入院患者の転院先の確保を急いだ。
医師や看護師らは、市立大から派遣された感染症の専門医から感染防止対策に関する指導を受けた。
防護服の着脱の仕方は毎週のように訓練を重ねた。
コロナ専門病院化は痛みを伴った。4月16日から外来診療や救急診療、
手術を順次休止させ、約200人いた入院患者全員を転退院させた。
元々あった結核病棟で20人近くのコロナ患者を受け入れていたが、
他のフロアで感染防止の仕切りや床の張り替えなどの工事を進め、
5月から90床での受け入れを始めた。
だが、コロナ患者が一時的に減った6月ごろから、医師や看護師らが次々と辞めていった。
10月までに医師4人、看護師14人を含む25人ほどの病院職員が病院を離れた。
背景には本来の専門分野の患者を診られなくなったことへの戸惑いなどがあり、
分娩に立ち会えなくなった産科の看護師も辞めた。
病院では、離職を防ごうと、7月から産科以外の外来を再開したが、
利用者はコロナ禍前の半分程度にとどまる。新型コロナ以外の入院患者も以前の2割に満たず、退職者が続いた。
また、コロナに感染した入院患者の約半数は80代で、
食事や排泄(はいせつ)の介助が必要な人が多く、
看護師不足に拍車をかけた。他の医療機関からの医師や看護師の応援もなく、
11月に入って感染者が増加しても、コロナ患者の受け入れは60人程度が限界だった。
計画通り90人の受け入れを可能にするため、
同センターのがんなどを患うAYA(思春期と若年成人)世代の専用病棟が一時閉鎖されることになった。
十三市民病院の西口幸雄院長は「精神的な負担を考えると、離職を防げないかもしれない。
やっていけるのかという不安は変わらない」と危機感を述べた。