「アメとムチ」で飼いならされている。
中国や日本の取材経験が長い米紙ニューヨーク・タイムズの前東京支局長で、
新著「吠(ほ)えない犬」(双葉社)で日本政府とメディアの関係を詳しく書いた、
(毎日新聞)
本来メディアは権力者の監視役、にならなければいけません。
おかしなことがあれば吠え、市民に伝えるのです。しかし実際はどうでしょうか。
私にはむしろ、権力にすり寄る「ポチ」に見えました。
安倍晋三政権は自らに好意的なメディアには単独インタビューの機会を積極的に与える一方、
批判的なメディアにはあまり与えませんでした。
こうした「アメとムチ」を巧みに使い分け、
「取材したかったら協力しろ」という無言の圧力をかけてきたのです。
この場合の協力というのは、政権にとって都合のいい情報を発信することです。
日本のメディアは、権力者に近づいて情報を取ることに過度に依存しています。
それ自体は決して悪いことではなく、必要なことです。
しかし本来メディアは、独自取材に基づく「調査報道」と近づいて情報を取ることの二つを、バランスよく行い、問題を多角的に報じなければいけません。
調査報道は人も時間もお金もかかりますが、埋もれている問題を明らかにするためには、絶対に必要な手法です。
ただ、現状は調査報道に比べて、近づいて情報を取ることによる報道の方が圧倒的に多い。
安倍政権はこの点をうまく突き、利用したと言えます。
つまり、政権に批判的な記事は書かないという「条件」で、記者にアクセスする権利を与える。
‘@以前からしいて期しているが、日本は中国と何ら変わらないということだ。
メディアや国民は国に飼いならされてしまった。
国に反するコメンテーターや評論家は、いつの間にか表舞台から消え、
国に飼いならされたコメンテーターや評論家が連日テレビに出て政府寄りの発言を繰り返す。
だから、新型コロナ感染拡大も一向に収まらない。
日本にはその国民力があるのに。