菅政権のコロナ危機への対応が先の大戦における日本政府のそれに重なることは、
既にあちこちで書いた。
緊急事態宣言も国民精神作興くらいの意味であり、それで終息しなければ一億総懺悔が待っている。
オリンピック開催は国体護持であり、そのためにはいくら犠牲が出ても構わないと権力者は考えている。
アメリカを見ていて、負けることを知らない、
受け容れられない権力志向の人間が政治をやるとろくなことにならないと痛感する。
民主主義とは正当な手続きの結果であれば負けることを受け容れることを前提としている。
政治に関わって負け越しがはるかに大きい私はそのことを力説したい。
ジェイムズ・スコットの『反穀物の人類史』(みすず書房)によると、
集権的国家で非自由民を使った富の集積が進んだ挙句に疫病で国家が解体するというのは、
人類史のパターンだそう。
21世紀の人類は何度目かは分からないが、その循環を繰り返しているだけ。そう思うと腹も立たない。
この30年の歴史をもう一度省察しなければならない。
アメリカ連邦議会議事堂の事件を見て、政治史は一次関数的な発展ではなく、
循環するという思いを強くした。
文明のあとは高次の文明ではなく、野蛮が支配する時代が来るのか?
私たちはなんと恥ずかしい時代に生きているのだろうか。
なんと恥ずかしい人々と共に生きねばならぬ時代なのだろうか。
いつまで彼らのような人々に忍耐しなければならないのだろうか。
アメリカの混乱に乗じて戦争を仕掛ける国やテロリスト集団がいないことを祈るばかり。
世界の危機は深刻。
‘@概ね理解できるが、一億総懺悔というのは、国民が選んだ総理なのだから、
その政策の失敗は国民の責任、それが民主主義ということか。
もしそうであれば、よくこのフレーズは使用されるが、投票した人の半分近くは与党に投票していない。
それを言うなら、自・公与党に投票した人に限定すべきではないか。
それと、投票に行かないで文句を言う人たちに。
安倍前総理なども国民の総意、国民に選ばれたと良く述べていたが、
少なくとも、私は、あなたを選んだ覚えはない。
コメンテーターや評論家なども時として「国民の多くは」とか、
国民を利用するが「ふざけるな」と言いたい。
あなたはいつから国民の代表になったのだ。
民主主義で敗北したのだから、暴力に訴えることなどはしない。
法律は守る。
しかし、選んだ覚えはない。