多様なゼロを揃えておくことの重要性。
残念ながら、社会には見える「1」になった成果しか評価しない人びともいます。
高度経済成長期に1を10にすること、すでに実現した10を100に増やすことが歓迎されたのは、
成長の道筋がはっきりしていたからです。
しかし、現代は予測困難な課題が次々と生まれる変化の時代です。
課題が浮かびあがってきてから、これまで通りの対応をしても慌てるだけです。
研究者の好奇心のエネルギーを秘めた「多様なゼロ」をたくさんそろえておくことが、
なにより重要なのです。
つまり勝負どころは「ゼロから1」をさまざまな領域で創出する豊かな苗床と機動力なのです。
振り返れば東京大学創設当時の明治初期も、第二次世界大戦からの復興期も、激動の時代でした。
先達は新たな社会を創るために、新たな学知の場として東京大学をゼロから立ち上げ、
試行錯誤を続けてきました。その、いわばゼロの力こそが、激動の時代のさなかにある今、
大学の持つ本来的で最も大切な価値だといえるでしょう。
東京大学にはそのゼロの力が豊富に備わっているということを、
私が総長としてさまざまな人びとと出会うなかで何度も実感しました。
それは「いつか1に変わりうるゼロ」であり、新しい知の源泉です。
しかし無造作にぼうっとしていると見逃してしまうかもしれません。
見逃さないためには、自分の考えや興味関心とは異なることでもその場で切り捨てず、
対話を続ける、その大切さも学びました。あることに人生をかけ熱心にやっている方は、
そこに必ず面白さを感じています。それこそがゼロの力であり、それを主体的に育むことが大切なのです。
そのためには、いつか1に変わりうるゼロの兆しを見極め、ワクワクしながら飛びつく好奇心と、
そのゼロの力をまわりでも支え続けるコミュニティの共感力が必要です。
他者が感じている面白さを、対話を通して自分も共感する。
プリンストン高等研究所の初代所長のエイブラハム・フレクスナーは、
「科学の歴史を通して、後に人類にとって有益だと判明する真に重大な発見のほとんどは、
有用性を追う人々ではなく、単に自らの好奇心を満たそうとした人々によってなされた」と述べ、
教育機関は好奇心の育成に努めるべきだと主張しています。
皆さんも本学での生活のなかで、何かに熱狂的に取り組んでいる友人や海外の研究者に驚き、
いつの間にか興味を持つようになった経験があるかもしれません。
好奇心を育むことは多様なゼロを豊かにすることなのです。
東京大学総長 五神 真