「平成の三四郎」の異名を取った柔道家で、92年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダリストの
古賀稔彦氏が24日、ガンのため川崎市内の自宅で死去。(53歳)
2度目の五輪となった92年のバルセロナで、現地入り後の調整練習で、
78キロ級代表の吉田秀彦氏と一本勝負をした際に、左膝じん帯損傷で全治1カ月の大ケガを負った。
歩くこともままならない状態で、指導者たちは棄権の可能性が頭をよぎったが、
本人は大嫌いだったという痛み止めの注射を打ち出場。
伝家の宝刀だった一本背負い投げを極力自重しながら、
並み居る強豪を次々と破り金メダルを獲得する偉業。
私は、90年には体重無差別で争われる全日本選手権に古賀選手が挑戦。
決勝まで勝ち進み、決勝ではバルセロナ五輪95キロ超級銀メダルで、
50キロ以上も重い小川直也に一本負けしたが、まさに「柔よく剛を制す」を体現した戦いぶりが、
今も忘れられない。
ただ強いだけではなく、やさしくなくては駄目、相手を思いやる気持ち、
ということを、常に念頭に置いて指導してきた。
こういう人にこそ、まだまだ、多くの人に柔道を指導してほしかった。
早すぎる、非常に残念だ。
「精力善用」「自他共栄」
(合掌)