私は初めての喧嘩でボコボコにやられ、恥をかいた……
その事件で初めて貴重な“授業”を受けたのだ……
そこから私は4つの結論を導き出した。
その1。私が悪かったということ。喧嘩の詳細については覚えていないが……
私のほうから勝手にいちゃもんをつけたことは間違いない。
だから、相手はすぐに私を殴ってきた。自業自得だ……
これがプーチンがウクライナに侵略した実態だ。
1。ウクライナが悪かったということ。侵略の詳細については覚えていないが、
ウクライナの方から勝手にいちゃもんをつけたことは間違いない。
だから、私はウクライナに侵略した。自業自得だ……
結論その2……どんな相手に対してもそういう態度を取ってはいけないし、
誰であれ敬意を払わなければならない。それはまさに“実践的”な教訓だった。
2。ロシアに対してもそういう態度を取ってはいけないし、
誰であれ敬意を払わなければならない。それはまさに“実践的”な教訓だった。
その3。自分が正しくても悪くても、どんな状況でも強くなければならない。そうでないとやり返せない……
3。たとえ自分が悪くても、強くなければならない。そうでないとNATOに舐められる……
その4。攻撃や侮辱にはいつでもすぐさま反撃できるようにしておかなければいけない。すぐにだ!
……勝ちたければ、どんな戦いでも最終決戦のつもりで最後まで戦い抜く……引き返すことなどできず、
最後まで戦う以外に選択肢はないという覚悟でね。
のちに、それが有名な鉄則の1つであることをKGBで教えられた。
だけど私はずっと前、子ども時代の喧嘩ですでに学んでいたんだ」
次第に、プーチンの子ども時代の戦いは正式なものへと変化していった。
(第6章〈サバイバリスト〉より一部抜粋)