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「安倍元首相の国葬に反対する」

藤崎剛人

<事績に基づけば国葬に値するかどうかは疑わしい人物を、

選挙演説中に殺害されたインパクトをもって強引に国葬を執り行ってしまうのは危険であり、

故人の神格化に繋がりかねない>

7月14日、選挙演説中に殺害された安倍元首相について、今年秋に国葬を行うことが発表された。

実現すれば吉田茂元首相に次いで戦後二例目となるが、法的根拠はない。

これまでの首相経験者の多くが政府と自民党の合同葬であったのに対して、

なぜ安倍元首相だけ特別視されるのか。反対・慎重論も多い。



戦後に国葬が行われた事例は吉田元首相しかなく、佐藤栄作元首相の国民葬がそれに準ずるのみだ。

従って、安倍元首相がそうした人物たちに匹敵する事績をあげたかを検証する必要がある。

筆者は安倍首相の業績についてほぼ全く評価するところがないが、高く評価する人もいるだろう。

ただしその場合でも、歴代首相に比べてどうかという客観的な比較検討が行われる必要がある。

たとえば外交政策吉田茂サンフランシスコ平和条約は戦後日本が独立を回復した出発点だ。

佐藤栄作は沖縄の「本土復帰」を実現した。

しかし安倍政権はウラジーミル・プーチンと何十回も交渉を行い、北方領土問題に注力していたにも拘らず、

四島返還どころか二島返還すら実現不可能にするなど、かえって事態を後退させている。

これは前二者に匹敵する外交成果といえるだろうか。

国際的評価から考えても、佐藤栄作というノーベル平和賞受賞者が国葬になっていないのだ。

経済についてはどうか。アベノミクスの成長率は年1%程度だ。

前二者の時代は、悪いときでも経済成長率が4%を下ることはなかった。

もちろん時代背景が全く違うとはいえ、安倍政権の成長率は同じく低成長化している,

同時期の先進国と比べても低い。

異次元金融緩和や円安誘導は恐れられていた副作用が現れつつある。

給料が伸びず、金融所得と勤労所得との間のギャップは拡大し続けた。

安倍政権については、首相に関わる汚職疑惑だけでも森友加計桜を見る会と枚挙にいとまがない。

国会での追求に対して首相は100回以上の嘘をついていたことも明らかになっている。

さらに問題なのは、その過程で、多くの公文書の隠蔽、破棄、そして改竄さえ行われたことだ。

行政の公開性は民主主義の基礎の一つであり、

公文書の改竄が平然と行われるようになれば民主政治は危機に陥る。

公文書の改竄だけでなく、安倍政権時代には、日本の立憲民主主義に対する様々な挑戦が行われていた。



2014年の集団的自衛権容認の閣議決定は、憲法違反の疑いが強いにも拘らず行われた。

その準備として、高い独立性を持ち、最高裁に代わって事実上の「憲法の番人」となっていた,

内閣法制局を屈服させている。

また2017年には憲法53条に基づき野党が求めた臨時国会の招集を3ヶ月も先延ばしにした。

他の首相経験者と比較しても、安倍元首相が国葬に値するかだ。

疑惑の多くは公文書を公開しないせいで未だ全容が明らかではない。

つい数日前も、これまでないとされてきたアベノマスクに関する厚生労働省と業者間のやりとりメールが発見された。
立憲主義を毀損するような様々な前例は、日本の将来に禍根を残す。

それらを考慮に入れたとき、果たして安倍元首相は国葬に値するのだろうか。

安倍元首相の殺害後、安倍政権的なものを評価するか否かが,

日本に大きな分断をもたらしていることが明らかになった。

しかしそれは安倍政治の結果でもあるのだ。

そもそも安倍元首相が、政治的な対立相手を「こんな人たち」と呼び、敵対性をはっきりと打ち出していた。

国葬というホウタイでその敵対性を隠ぺいしたところに生じる「サイレント・マジョリティーの統合」なるものは、

ファシズムの言い換えでしかないだろう。

 

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