東関親方、間違えるはずのない間違い。
幕下の東照山対千代の勝の取り組み。正面付近の土俵際でもつれながら両者が落ち、
行司の木村秀朗は東の千代の勝に軍配をあげた。
際どい勝負に物言いがつき、審判団が土俵上で協議。
審判長だった東関親方はマイクでの場内説明で、
「行司軍配は東方力士に上がりましたが、両者同体ではないかと物言いがつき、協議した結果。
両者同体とみて取り直しとなりました」とスムーズに説明。
両力士が仕切り直しに土俵に上がろうとした瞬間、赤房下にいた浅香山審判(元大関・魁皇)ら、
他の審判から「物言い」が入り、再び審判団が集結。
他の審判らは、東関親方に念を押すように説明して、東関親方は何ともいえない泣きそうな顔で、
再びマイクを握り、「行司軍配は東方力士に上がりましたが、両者同体ではないかと物言いがつき、
協議した結果。東方力士の体が残っており、軍配通り東方力士の勝ちとします」と言い直した。
私の周りにも人の話を聞かない人はいるが、まさかの、ありえない間違い。
世が世なら切腹ものだ。
初の海外出身関取として“ジェシー”の愛称で親しまれた元関脇高見山が1986年に創設。
東関部屋は、横綱曙や小結高見盛らを輩出した人気の部屋で、現在は幕下以下の6人の力士が所属。
高見山の定年退職に伴い、09年に元幕内潮丸が部屋を継承。ところが一昨年12月、血管肉腫によって41歳の若さで他界した。
師匠不在では所属力士らが土俵に上がれない規定があるため、同じ高砂一門の八角部屋の一時預りに。
その後、昨年1月30日に部屋付き親方だった高見盛が年寄『東関』を襲名し、部屋を継承した。
現役時代は、取組前に顔や胸を叩くパフォーマンスから“ロボコップ”との異名を取り、
絶大な人気を誇った高見盛。
部屋の隆盛も期待されたが、1年で閉鎖話が浮上した。
昨年一月場所中に高見盛が理事長室にひっそり入って行く姿がとらえられていた。
高見盛氏は「やっぱりできません」と言うのを、
八角理事長が「いくらでもバックアップする。優秀なマネージャーもいるから大丈夫だ」と説得。
「わかりました、頑張ります」と出て行ったが、翌日になるとまた「やっぱり無理です」と理事長室へ。
場所中、それを繰り返していたという噂がある。
仕方なく、元高見山の間で「とりあえず1年間だけでも。その間に後継問題を考える」と妥協案をまとめ、
師匠就任を呑ませたという。
イヤイヤ引き受けた新師匠高見盛は、この1年、浅草近くの自宅から葛飾区柴又の部屋まで、
自転車通勤をやめず、指導も熱心ではなく、ただ稽古を見守っているだけ。
弟子とちゃんこも囲まずにサッサと帰るらしい。
場所後、東関部屋は閉鎖され、八角部屋に吸収されることに。
現役時代から変わり者で、マイペースを超越した「超個人主義」の高見盛氏は44歳独身。
財産形成だけが趣味なのか。
もちろん人には得手不得手があるので、高見盛氏を責めるわけにはいかない。