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​NHK大河ドラマを子供に見せてはいけない!

なぜ明智光秀織田信長に謀反を起こしたのか。

歴史評論家の香原斗志さんは「四国政策の失敗で、光秀が織田家臣団の中で立場を失ったことが大きな要因と考えられる。

『どうする家康』で描かれたような、私怨からの行動ではない」


家康が「信長を殺す」と口にし、私は驚いたが、それは家康の心根の描写にとどまるもので、まさかその実現に向けて動き出すとは思わなかった。

ところが、家康の指示のもと、謀反の準備がほんとうにはじまったから驚愕した。

宿敵の武田に内通していた2人を死なせる決断をしたのは家康であって、信長に命令された結果ではない。定説にしたがうかぎり、家康が信長を討つ動機は存在しないのである。

徳川が対武田に苦戦し、滅亡もありうる状況下で、築山殿は家臣団とともに武田側に内通し、

息子の信康とともに生きる道を探ったが、事前に発覚。それが信長の知るところになると、今度は家臣団に対して多数派工作を画策した。

これは家康自身にとって痛恨の汚点であり、放置すれば家が分裂しかねないのでやむなく2人を処分したのであり、

信長を恨むべき話ではまったくない。そもそも柴裕之氏が言うように、

戦国大名や国衆にとっての優先事項は領国『平和』の維持にこそあった」(『徳川家康平凡社)。



家康の妻子は、その「優先事項」を侵害したのである。

現在、光秀が本能寺の変を起こした動機として、ほぼまちがいないと考えられているのが四国説である。

光秀は四国政策で敗北し、織田政権内における明智家の立場に強い不安を抱いておかしくない状況にあったのである。

また、ドラマでは、家康は信長を討つことだけを考え、嫡男の信忠には言及しない。

しかし、信長に対するクーデターは、信忠も一緒に殺さなければ意味をなさない。

すでに信忠は家督を譲られ、対武田の最終戦も信忠が仕切るなど、織田家の当主としてすでに認められた存在だったからである。

その信忠は当初、5月28日からの家康の堺見物に同行する予定だったが、

信長が29日に上洛するという連絡を27日に受け、急遽、予定を変更して京都に入り、

本能寺からの距離が600メートルほどの妙覚寺を宿所にした。しかも、手勢は500名程度だったという。

したがって、光秀がクーデターの決行を決めたのは、信長父子の護衛が手薄で、確実に殺害できそうなメドが立った5月27日以降だと思われる。

まさにここしかない一瞬の隙を突いたのである。ドラマの家康のように、信忠には目もくれず、あらかじめ大勢の人を巻き込んで準備を進めるなど、ナンセンス極まりない。

最近、「大河ドラマを子供には見せられない」という話をよく聞く。

歴史への誤解を植えつけられてしまうからである。

事実、「どうする家康」は「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」のような痛快時代劇だと割り切って見ないと危険なシロモノになってしまった。

プレジデントオンライン /