岐阜県内の多くの銭湯やスポーツジムなどで、タトゥー(入れ墨)のある人の入場を断っている。
日本では反社会的勢力と関連づけて見られている。
一方、海外ではタトゥーが一般的な地域もあり、ファッション感覚で彫る人も多い。
サッカーJ3・FC岐阜の選手らが足しげく通う岐阜市のある銭湯では2018年頃、
「タトゥー・入れ墨のある方はご入浴できません。ただしFC岐阜の選手は例外です」との貼り紙をしていた。
しかしその後、一部の利用客から「FC岐阜の選手だけ特別扱いをするのか」との声が上がったことから、
貼り紙を撤去。クラブには一時、タトゥーのある選手の利用を控えるよう頼んだという。
一方、タトゥーがある利用客の入浴を制限していない奥飛騨温泉郷の「ひらゆの森」では、
これまで、苦情が寄せられたり、トラブルが起きたりしたことはほとんどないという。
担当者は「外国人観光客の利用が多いことから、制限を設けていない。
それぞれの施設が実情に合わせて対応していくしかないのではないか」と話した。
‘@単純な話、制限している自治体と制限しない自治体の違い。
制限が無いのだから入れ墨があっても自由に入れる。
制限があれば、入れ墨者は施設に入れない。
そこで、特例を設ければ当然苦情は来る。
日本には昔から入れ墨は犯罪者や不良者がする悪のイメージの歴史がある。
それでも、銭湯などでは、早い時間に紋々を背負った人が入浴していた。
大工やとび職、テキ屋なども夏は入れ墨が露見している人もいた。
それが、いつの頃からか、入れ墨が見えることに対して、かなり厳しい見方が出て来た。
夏でも長袖で、入れ墨は見えないようにするなど。
それが、インバウンドの流れで、また変化の兆しが生まれた。
外国人の中にはタトゥーを入れている人が多くいる。
それを断っていたら金にならないし、もめ事も起きる。
わたしは以前から問題視していたが、国内では入れ墨に厳しい割に、
海外のスポーツ選手は入れ墨(タトゥー)を入れている選手が多く、
平気で日本で戦いテレビなどで放映している。
なぜ、そこに矛盾を感じないのか。
日本の若い人は、カッコいいと思いマネする人もいるだろう。
だが、これも、多様性だとすれば、直ぐに片が付く。
便利な言葉だ。