国内唯一のメーカー三栄製薬(東京・世田谷)が24日製造、
25日包装分をもって終了すると、藤森博昭三栄製薬社長(59)が表明。
赤チンは、最盛期の60年代、全国約100社が製造。三栄製薬でも月10万本を出荷した。
ヨードチンキ(ヨーチン)に比べ染みず、痛くないことから、保健室や家庭に欠かせず、
擦り傷や切り傷ができた子どもたちの膝や肘は赤く染まっているのが定番だった。
71年に無色でスプレーの「マキロン」が登場。
一方、赤チンは原料のマーキュロクロムを製造する際、水銀が発生することから、
国内での原料製造が73年に終わり、徐々に時代に取り残され始めた。
三栄製薬の藤森社長によると、海外から原料を調達して製造を続けていたが、
「水俣条約」(水銀を使用した製品の製造、輸出入を規制する国際条約)で、
12月31日以降、赤チンも蛍光灯などともに規制対象となることから、
三栄製薬も幕を下ろす。
近年では消毒薬の使用がかえって組織の再生を遅らせるとわかってきた。
そのため、生体本来の防御作用や回復力を活用する治療が主流となりつつある。