1989年の「天安門事件」につながる民主化運動の中で学生リーダーのひとりだった弁護士が、
白昼のニューヨークで惨殺された。
「天安門事件」の学生リーダーのひとりだった弁護士・李進進(リィ・ジンジン、米国名ジム・リー)は、
22ヵ月間投獄され、亡命した。
3月14日正午前、米ニューヨークのクイーンズ区・フラッシング39番街にあるビル4階の事務所で刺殺された。
享年66だった。
当日、李進進氏の事務所には、3日前に来訪したばかりの中国人女性・張暁寧(ヂャン・シァオニン、25)が、
ケーキを持参し訪れた。
11時44分ごろ張は突然、「今日は法律の用件で来たわけではない」と言いつつ、
李氏の背後から彼の首を片腕で強くロックし、コートの内ポケットから素早くナイフを取り出して、
ためらい無く李の頸動脈を一撃。続けて頸部、胸部、腹部をメッタ刺しにした。
目撃者によると、張は素早くナイフを取り出し、ためらい無く頸動脈を一撃したことから、
相応の訓練を受けたとみられる。
瀕死の李氏は病院に搬送されたが、12時8分に出血多量で死亡が確認された。
犯人の張暁寧は現行犯逮捕された。
張は北京の大学で学び、2021年8月下旬にF-1学生ビザで米国に入国。
渡米直後の2021年9月14日、国連通常総会の開会日当日に張は、
国連本部の外でプラカードを持ち、北京市内の精神病院に強制入院させられたことを非難し、
彼女をレイプした北京市公安局の警官を厳罰に処すよう訴えるデモンストレーションを繰り返した。
李氏の存在を知った張は、李が法的な手助けをしてくれるものと期待し、3月11日、李氏の事務所を訪れた。
泣きながら、数日前に米国移民帰化局(BCIS)の移民面接に落ち、貧しく無一文同然で、
中国で警官にレイプをされたと訴え、庇護を求めた。
李氏は彼女を無償で助けるつもりでいた。
李氏の親友弁護士・朱偉は「後の祭りだが、李進進はあの女に関わるべきではなかった」と語った。