安倍総理は第2次安倍政権発足後の2013~19年の式辞で、
毎年「歴史と謙虚に向き合い」「歴史の教訓を胸に刻み」などと述べていたが、
今年はその言葉が消えた。
代わって、安倍総理が掲げる「積極的平和主義」を差し込む。
今年は「積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、
世界が直面しているさまざまな課題の解決にこれまで以上に役割を果たす決意だ」と宣言。
「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、
終戦から75年を迎えた今も、決して忘れない」と述べた。
そのうえで、「戦後75年、わが国は一貫して平和を重んじる国として、歩みを進めてきた。
戦争の惨禍をニ度と繰り返さないという決然たる誓いをこれからも貫いていく」と。
歴代首相が述べてきたアジア諸国への加害責任や反省は8年間、一貫して言及していない。
‘@平和主義になぜ、積極を付けなければいけないのか。
安倍総理の述べる「積極的平和主義」とはどういう意味なのか。
「積極的平和主義」を主張するなら、この世界から戦争をなくし、核をなくし、
貧困や、環境破壊などもなくすというのがあるべき姿だ。
しかし安倍政権は、武器輸出を推し進め、集団的自衛権の行使、
沖縄での辺野古移設反対者に対する暴力。
安倍政権の政策による貧困格差拡大。
全て真逆だ。
(終戦直ぐに米軍人の靴を磨いて金を稼ぐ子供、今の日本はこの頃と少しも変わっていない)
安倍総理の言っていることとやっていることの違いは、今に始まったことではないが、
積極的平和主義で戦争に突き進んだ過去を忘れてはいけない。
平和を守るために戦争に突き進む愚。
米国追従の安倍政権だが、米国が国際社会の平和に寄与したのか。
イラク戦争においては、大量破壊兵器の名のもとに、非人道兵器で多くの民間人が犠牲になった。
「イスラム国」にしても、元をたどれば米国が作ったようなものだ。
そして日本は、米国の戦争犯罪の片棒を担いでいることを忘れてはいけない。
そこに「積極的平和」など微塵もないのだ。
「平和と繁栄は、戦没者の尊い犠牲の上に築かれたものである」といつも述べるが、
尊い犠牲を作ったのは時の政府だ。
自分たちの流れを汲む「先人の過ち」を、尊い犠牲の名のもとに覆い隠すのは卑怯だ。
何の罪もない女性老人子供が殺された。
その当時の「空気」が戦争に向かわせたと言うが、その「空気」を作ったのはだれか。
当時の女子か?男か?子供か?軍部か?
仮にそうだとしても「空気」を作ったのは男どもだ。
その犠牲になったのが、おんなトこども。
決して忘れてはいけない。