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金融庁氷見野長官「サトシの理念は今も受け継がれているのか?」

金融庁日本経済新聞社が共催で開催したイベント「BG2C FIN/SUM」(24日~25日)。


閉会の挨拶で、金融庁の長官に就任した氷見野良三氏は、金融の権威が居並ぶイベント会場で、

ビットコインの産みの親である「サトシ・ナカモト」の、理念の意義について語りかけた。

従来の日本の金融の専門家からよく聞く意見は、

ビットコインのような仮想通貨・暗号通貨などは、一部の投資家のための商品。

決済には使いにくい。金融システム全体に影響を及ぼすことはない」

などといった見方が多数を占めていた。

そこで氷見野長官は、従来の慣習に問われない思考をするよう呼びかけた。

金融庁は金融システム全体の監督機関でもある。

金融のメインストリームでは、ブロックチェーン技術を活用して銀行がデジタル通貨を発行する取り組みや、

中央銀行がデジタル通貨を発行する議論が盛んになっている。

麻生大臣は「分散型金融システムのマルチステークアプローチによるガバナンス構築」に言及した。

麻生大臣はビットコインに代表される「分散型金融システム」に関心をもち、

そのガバナンス体制を構築したいという意思表示を行った。

金融庁が働きかけて発足した、ブロックチェーンの規制の方向性などを話し合う団体、

BGINの動きでも見て取れる。

分散型のシステムでは、分散型に合ったガバナンスが必要だと金融庁は考えている。

規制機関によるトップダウンアプローチは有効ではなく、

関係者が顔を合わせて話し合うアプローチが求められる。

日本の金融庁は、世界的なブロックチェーンのコミュニティとの話し合いの場を作ろうとしている。

今回も、ビットコインイーサリアムのコミュニティから呼んだ関係者の、

パネル・ディスカッションが開催された。

加速する仮想通貨の世界の規制などイニシアチブを先取したい思惑がある。

金融庁内部の考え方を具体的、明示的に示したものが、氷見野長官のスピーチだった。

氷見野長官は7月に金融庁の新長官として就任。

2015年より3年間バーゼル銀行監督委員会事務局長や、

日本人初の金融安定理事会(FSB)の常設委員会議長などを務めた経験がある。

 

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2008年10月、世界の金融システムは、大暴落の危機に瀕していた。

長年にわたり実績を積み重ねてきた金融システムは、その信頼を失いつつあった。

この信頼の危機の中で、サトシ・ナカモトは、ビットコインに関する技術的な論文を公開した。

サトシ・ナカモトは論文の中で、経済の中核インフラである決済システムが、

信頼できるサードパーティを介在せず、P2P(ピア・ツー・ピア)で構築できることを記述した。

匿名の人間から受け取ったビットコインが、信頼できて、かつ真正であることを担保するのに、

造幣局、銀行、規制当局、中央銀行、金融大臣、警察官、検察、裁判所、軍も必要としなかった。

この提案は、プルーフ・オブ・ワーク、タイムスタンプ、ビザンチン断層などの使用概念は、

私たちがこれまで慣れ親しんできたシステムの本質について、深く考えることを気付かせてくれた。

あれから十数年が経ち、今日、私たちは信頼という根本的な問題を、

もう一度深く考える必要に迫られているのかもしれない。

信頼という社会の重要な構成要素には、いくつかの核となる構成要素があり、

その中のいくつかは急速に変化している。

例えば、信頼の重要な構成要素の一つとして、対面での会議がある。

対面式の会議は相手についての豊富な情報を提供してくれるし、

私たちは動物的な本能と直感でそのような情報を解釈することにある程度の信頼を置いている。

しかし、新型コロナ渦では、G20に参加している閣僚や政治家との会合から、

夜の軽い飲み会まで、多くの対面でのコミュニケーションをオンラインへと置き換わりつつある。

自分の目で直接見たものを信頼するというモデルは、コロナ後の時代には多少の補足が必要かもしれない。

もう一つの信頼の土台となっているのは、情報のゲートキーパーとして働く、

評判が高く、十分な訓練を受けたプロの編集者の存在だ。

たとえば、ブリタニカ百科事典の編集者は、掲載するエントリーごとに有識者を選ぶ。

読者は百科事典に書かれている内容を信頼するだけでよく、検証する時間を必要としない。

しかし今日、私たちはまずウィキペディアで匿名の著者によるエントリーを読み、

次に引用された出典や証拠を見る。私たちは必ずしも信頼するのではなく、検証をするのだが、

一般的に検証にかかるコストが低くなってきているので、検証することを選ぶわけだ。

古き良き時代には、新聞の編集者が社会に流布される情報を大きくコントロールしていた。

現在では、多くの人がSNSで見つけた、自身が気に入ったエントリだけを見ている。

私たちは、自分が信頼したいからというシンプルな理由でものを信頼することすらある。

 

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政府もまた、信頼できるかどうかを検討する重要な要素だ。

私が私であることを証明するために、パスポートや運転免許証を提示する。

もし取引先が契約に違反して私のことを裏切った場合は、裁判所を経由して取引先に対し、

政府から取引先に対して義務を果たすように通達するように求めることもできる。

しかし、分断と地政学的リスクが増大している今日の世界では、

政府の一挙手一投足によって信頼の源が失われないよう、

政府に基づく信頼に代わるオルタナティブ手段を残しておきたい、と考える人もいるだろう。

さらに、場所に関係なく経済活動ができるようになりつつあることもあり、

政府による執行の効力が薄くなりつつある可能性がある。

このように、従来の信頼の構成要素だけでは、これまで同様に機能するとは限らなくなりつつある。

では、どのようにして信頼を構築していけばいいのだろうか。

私が思いつく代替案や補完案としては、ピアレビュー、透明性、

改ざん防止のためのタイムスタンプ付き記録、効率的な検証プロセスなどだ。

これらがより大きな役割を果たすことになれば、世界は確かにサトシが思い描いたような方向に進むかもしれない。

サトシは、自身が提案したネットワークから信頼の要素を排除したわけではない。

信頼できる第三者を、信頼できるノードのコミュニティに置き換えたのだ。

マイニングを行うノードが、ネットワークを攻撃するために連携しないであろうと私たちが仮定している、

という意味で私たちはコミュニティを信頼している。

プルーフ・オブ・ワークのもとで活動しているノードは、

あえてビットコインの価値を毀損するインセンティブがないと考えている。

ビットコインに対する信頼は、マイナーが費やした大規模な電力とマイクロチップに依存するようになってきた。

それは、受け入れがたいほど資源の無駄遣いなのだろうか。

そうかもしれないが、ブロックチェーンに限らず、ある種の「行動の証明(プルーフ・オブ・ワーク)」は、

私たちの身の回りにもある、と主張したい。

 

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行動の証明とは、真面目な人にしかできないと他人に思わせるほどのコストのかかるプロセスであり、

そのようなコストを払うことが邪な意図によるものではない、と多くの人が受け入れるものと簡単に定義しよう。

我が国のGDPの大部分が、このような行動の証明に費やされていると言って過言ではない。

また、顔に細かい彫刻が施された何トンもの紙幣、高級ビルの中にあるデザインに特徴あるオフィスで、
仕立ての良いスーツを着たビジネスマン、訪問する度に披露される美しくデザインされたプレゼンテーションスライド、

洗練されたレストランでの接待、広告に登場する映画俳優、おしゃれな表紙が特徴的な書籍、

あるいはカサノバが恋人に手渡すバラの束、有名な大聖堂での結婚の儀式などを頭に思い浮かべてください。

それらは、紙幣やビジネスでの提案書、広告に掲載される商品、本、恋愛、

結婚などの本質的な価値とは一切関係がない。

何兆トンものCO2が排出され、それに見合った金額が使われているのは、

信頼や真面目さを印象づけるという目的のためだけだ。

したがって、私たちの社会における信頼を生み出すためのプルーフ・オブ・ワークの役割を見直し、

それをどのようにリエンジニアリングできるかを考えることは、

私たちの社会的交際の効率性と有効性を向上させる大きな可能性を秘めている。

ブロックチェーンの設計課題と向き合うためには、信頼とガバナンスを構成する構成要素について深く考える必要がある。

深く考えることができれば、その結果として得られる概念やツールは、

社会全体の連携の幅を広げることにもつながるのではないか。

12年前にサトシが始めたイノベーションと探求のプロセスは、私たちの社会構造を深く考え、

根本的な原因を探り、変革のための根本的な手段を模索するという、まさにラディカルな活動だった。

その努力は、コロナの時代にこそ必要とされているのではないだろうか。

フェイクニュース、ハイパーグローバリゼーション、分断など、

表面的な解決策だけでは解決し得ない問題にも通用する営みであると言えるだろう。

‘@キレ者はいるものだ。

テレビに出てくる政治家や官僚をみていると情けなくなる一方だが、

奥の深い分析だ。

しかし、氏の述べるように、余計だとされるものを削ぎ落すと、多くの犠牲者が出て、

つまらない社会になる、と、思うこと自体が古いのか。

安倍総理辞任の花向けに述べた、

「分断と地政学的リスクが増大している今日の世界では、

政府の一挙手一投足によって信頼の源が失われないよう、

政府に基づく信頼に代わるオルタナティブ手段を残しておきたい、と考える人もいるだろう。

従来の信頼の構成要素だけでは、これまで同様に機能するとは限らなくなりつつある。

では、どのようにして信頼を構築していけばいいのだろうか。

私が思いつく代替案や補完案としては、ピアレビュー、透明性、

改ざん防止のためのタイムスタンプ付き記録、効率的な検証プロセスなどだ。」

と感じたのは、私の穿った見方か。

裏を返せば今現在は、日本政府にガバナンスの透明性が無いということだ。