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​大野 将平・金・「点と点が結びついた瞬間」

私は今後「JUDO」しか残らないのかと、悲しく思ったが、

大野 将平選手が金をとって、まだまだ大丈夫だと安堵した。

そして、私が思っているすべてのことを、大野柔道家は持っている。‘@


「組み合って投げる古き良き柔道」

「正しく組んで正しく投げる」

まさにそれこそが、古き良き時代の“柔道スタイル”なのだ。

理想を現実にするのは厳しいが、やるしかない。



大野 将平談。

何を持って正しいとするかは、各々の解釈もあると思うが、最も重要なことは、観ている人にとって、

「強いな」「綺麗だな」と思える、わかりやすい柔道であることだと私は考えている。

全日本男子チームの合宿で特別講師として指導頂いた際の岡野功先生の言葉が、私の心に響き、

いまもなお残っている。

「どちらが勝ったかわからないような柔道をしてほしくない」

私の講道学舎の恩師が、岡野先生に教えてもらっていたという関係があり、

私も岡野先生に高校生のころに教えていただく機会が何度かあった。

全日本の合宿では、柔道衣を着て、われわれ現役選手の前で指導をしていただいた。

80歳近くになられ、体調もあまりすぐれないと聞いていたが、

体を動かしておられる姿を目の当たりにしたとき、「達人だな」と強く感じたことを覚えている。

全日本の選手たちを前にしても一切物怖じしない、逆に飲み込んでしまうような達人感がそこにはあった。

自分自身も歳を重ねたときに「そういった雰囲気をまとえるような柔道家でいたい」と思ったほどである。

その岡野先生の「どちらが勝ったかわからないような柔道をしてほしくない」という言葉には、

「一本を取って白黒をはっきりつける“柔道”をしなさい」というメッセージが込められている。

私自身も、そうでないと競技としての“柔道”の魅力が失われていくと日々感じている。



そして、岡野先生はもうひとつ、私に“柔道”の心構えに関する大切な言葉をかけてくださった。

「柔道はスポーツではない、武道、武士道である」

この言葉の真意。

「戦場で刀を持って侍が戦う際に、刀が切れなくなったときに最後にとどめをさす術、

そのくらい生きるか死ぬかの気持ちでやりなさい」と私に伝えてくださった。

岡野先生が現役で試合に臨むときは、そのような心構えだったのだ。

いまの私たちは「負けても死ぬわけじゃないし」と逆の考え方だと思う。

そこが、まだまだ自分の“柔道”に対する甘さだと認識した瞬間でもあった。

我々がやっているのは“柔道”、武道であることを忘れてはいけない。

武道である“柔道”をおこなううえで、いつも思うことは、人間の真価が問われるのは、

負けたときの姿勢ということだ。



シドニー五輪の大誤審で敗戦し、その後のインタビューで「自分が弱いから負けた」と語った、

篠原信一先輩の姿勢がまさにそれにあたる。

私は、このときの試合を観て、武士のような潔さを持つ篠原先輩に憧れをもった。

2005年の世界選手権、男子90キロ級の決勝戦

泉先輩はそれまでずっとイリアディス選手に勝てなかったが、その試合は泉先輩が一本勝ちをした。

すると、イリアディス選手は泉先輩の腕を掲げ、「彼こそが王者だ」と称えたのだ。

その試合を現地で観ていた私の講道学舎の恩師が、

「あの瞬間に、勝負に勝ったが、イリアディスに人として負けたと思った。

お前たちもメダルを取ることだけに執着するような器の小さい人間にはなってはいけない。

圧倒的な強さを求めつつも、冷静にたくさんのものを愛せる選手になってほしい」と、

塾生だった私たちに伝えてくれた。



イリアディス選手の潔さ。負けてすぐに相手を称えられる器の大きさ。

本来、負けたら悔しさのあまり、相手のことを思いやる余裕などない。

だからこそ本当に、それができる選手は素晴らしいと思う。

いま、私にその器量があるかはわからないが、そうありたいと考えている。

「敗戦したときこそ人間の真価が問われる」

リオ五輪が終わった後、海老沼先輩はひとつ下の階級から、私と同じ階級に上げてきた。

世界選手権の代表を決める試合を戦う前に、自然と「これ以降は戦うことがないだろうな」とふと感じた。

海老沼先輩とできる最後の戦い、そういう感覚が自分の中にはあった。

試合は、私が最初に攻めて“指導”をとり、次に海老沼先輩が攻め返してきて“指導”をとられ、

その後、私がまたやり返して“指導”をとった。

通常の試合では、“指導”は基本的に両者に同時に出されたり、

片方の選手が一方的にとることが多いが、この試合では交互に“指導”を取り取られる展開になった。

滅多にないしのぎを削る戦いの末、最終的に“指導”が2-2となった。

3つの“指導”がついたら反則負けの後がない状態。

しかし、2-2になったときに、両者が攻めに振り切っているので、審判はそれ以上“指導”をとれない。



審判は、会場の雰囲気が“指導”決着を望んでいないことをわかっているし、

お互い攻めているので“指導”がとれないのだ。お互いの意地。

そういった試合では、綺麗に「一本」で決まるものではないかと頭をよぎったが、

拮抗し集中していたこの試合では、投げた技の返し技で、地味な感じでポイントをとる展開となった。

それを含めても「“柔道”だな、戦っているな」と感じた。

ギリギリのところでの戦いを感じることができた。

お互いに言葉を交わすわけでもなく、自然とお互いの拳、握っているところが唯一の接点なので、

そこから発せられるもの、そういう意味では以心伝心していたような気がした。

この試合こそが、武道、武士道である日本古来の“柔道”ができた試合だった。

これまでの柔道人生で何百試合もやっているが、両者が矛と盾を持っていると例えるならば、

盾を捨てて、完全に矛だけで合うような、超攻撃的にお互いがやりあった試合だった。

あの感覚は、唯一あの試合だけだ。

あとで映像を見返してみると、我々が動いている時間は、観客が固唾をのみ一切音を立てていなかった。

通常の試合であれば声援が上がるものだ。しかし、その試合に限っては全くなかった。

「待て」がかかるたびに、「おおー」という地鳴りのような音がした。

最後は、私が返し技で勝利したが、試合後に山下泰裕会長が、

「観客全員がスタンディングオベーションしていたよ。そんな試合はいままでなかったと思う」と仰っていた。

まさに自他共栄。私と海老沼選手だけでなく、観客すべてを巻き込んだ自他共栄の試合は、

なかなかできるものではないと試合を振り返って自分自身も感じている。

あの試合のように、お互いがプラスとプラスで掛け算になるような“柔道”がもう一度できたらと思う反面、

「あの一戦を超える試合は今後できないんじゃないかな」という気がする。

もちろん、対戦相手も必死だし、綺麗ごとばかりを言ってはいられない。

勝負の世界なので、時に本意ではないことが必要になる場合もあるが、緻密な部分も考えて、

自分の目指す“柔道”を体現していきたいと考えている。



おそらく、現役が続く以上、いま私が感じている葛藤は消えることはないだろう。

それは、次の東京五輪で金メダルを獲っても変わることはないはずだ。

ただ、私にはやらなければいけないことがある。

それは、東京五輪の舞台となる武道館で、講道学舎天理大学で学び培ってきた、

古き良き時代の “柔道”が一番強いということを証明することだ。

そのためにも、金メダルが必要だと感じている。

そして、そのときが、すべての「点と点が結びつく瞬間」になるのだと思う。

‘@そして今回の大会で、点と点が結びついた。

私ごときが言えるものでは無いが、美しく・強く・フェアーな試合を見せてほしい。

それが、たとえ負けても、子供たちや国民に感動を与える。

確かに、金・銀・銅では、扱いが違うのも世間の常だ。

しかし、いくら強くても、国民が不信に思えば、その功績は語り継がれないばかりか、

不の話の方が強く残るのも事実だ。

世界中の全ての人に
大野 将平選手の言葉を贈りたい。