暴力、戦争を認めることになる。
「ウクライナにも責任」があるという点について、対立が生じたときには、
一般論として片方が100%悪いということは少ないのかも知れない。
しかし、無いことは無いと言うか多々ある。
強盗などもそうだし、戦争や紛争も領土を拡大したいとか制圧したいと言う一方的なことも多々ある。
侵略国と被侵略国が「中立」であるとして、戦争は「両方悪い」ということであれば、
そもそも戦争責任はすべて免罪することになりかねず、戦争責任の根幹が崩れる。
まさに世界の戦国時代を容認するようなものだ。
ニュルンベルク裁判も、東京裁判も、「侵略国」に責任があるとしている。
戦争は双方に責任があるということは、武力による威嚇や「武力行使」を禁止してきた、
20世紀の国際社会の歩みを否定するもので、あまりにも無責任な発言と言わざるをえない。
有事の際の無知識で無責任な発言があまりにも多すぎる。
れいわや玉川が「米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せず、を反故にしてきた」
と主張するが、約束の証拠はどこにもないのだ。
当時の関係者でも、言った言わないの話で、「署名がある明文化された合意」はどこにもない。
プーチンも示していない。
国際社会は元より、現代社会では、拘束力のある約束は「署名がある明文化された合意書」であるのは必然。
それなのに、「約束を反故にした」と強調するのはあまりにも安易で、
ロシアにとっての都合の良い歪曲に加担していると言わざるをえない。
れいわ新選組や玉川のような、事実を認識しない歴史の「利用」は、あまりにも危険すぎる。