過去に内閣法制局長官が見解。
国葬は「三権の了承必要」
1975年に佐藤栄作元総理が死去した際、当時の吉国一郎内閣法制局長官(故人)は、
国葬について「法制度がない」「三権の了承が必要」との見解を三木武夫首相に示していた。
自民党の実力者だった前尾繁三郎衆院議長の秘書を務めていた平野貞夫元参院議員が朝日新聞に証言。
こうした指摘を受けて三木政権は国葬を見送り、国民葬とした。
佐藤氏は当時、連続在職日数が7年8カ月で現憲法下最長。
ノーベル平和賞を受賞し、党内からは国葬にすべきだとの意見も出ていたが、
吉国長官が「法制度がないので、国葬とするには立法、行政、司法の三権の了承が必要」と述べたと伝えた。
これが国葬見送りの理由になったとも語った。
先に記したが、今回の証言で、佐藤氏の国葬を見送った三木内閣の意思決定過程が、
より明らかになった。
‘@全ての是非を横に置いて、最初岸田総理が「国葬儀」と口にした時に、
無知なわたしは、「国葬」は正確には「国葬儀」というのだと思った。
だが、調べてみると直ぐに敢えて『儀』を付けたことが分かった。
なぜ、岸田総理は敢えて『儀』を付けたのか。
国葬ではなく、国の儀式の位置づけにしたかったからだ。
その方が、根拠が通りやすい。これは法整備局も認めている。
そして岸田総理は、安倍氏の国葬は「国民に弔意を強制しない」と明言。
国民が弔慰しない国葬などあり得ない。
国民の半数以上が反対している国葬は成り立たない。
よって、結論として安倍氏の国葬は国葬ではないということだ。
そして、岸田政権は明治時代に逆戻りした。
当時は総理経験者が国葬で送られた。
集団的自衛権という国家の在り方にも関わる法律を、国民の賛同を得ずに閣議決定した安倍氏。
国民主権に照らして考えてみると、国葬という形で誰を特別扱いするかについて、
その時の権力者が自由に決められるという結論は、法律による民主的な主権は存在しておらず、
正しいとは思えない。
違法でない=正しいわけではない。
安倍氏の国葬に反対している人の多くは、安倍氏の死は驚きと共に怒り悲しんでいる。
わたしもその一人だ。
ただ、国葬は別の話。
大きな禍根を残すことになった安倍氏の国葬義は安倍氏への追悼、家族へのお悔やみになるのだろうか。
合同葬や国民葬などで7~8割の国民が賛成であれば、
無理に国葬を付けずとも、その方がよほど素晴らしい儀になると思う。
合同葬だから各国から首脳が来ないという分けではない。
国葬でも来ない首脳は来ない。
国葬の価値を落とした岸田総理は大きな汚点を抱えることとなる。
安倍氏葬儀の時、統一教会はどういう行動に出るのか。
『霊会で光り輝く霊人』