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​誰が兵庫県警の勝共連合調査を中止させたのか。

朝日新聞阪神支局襲撃事件(赤報隊事件)で、兵庫県警が勝共連合を調査していた事実が明らかに。

山上事件を契機に、統一教会勝共連合霊感商法などの犯罪が問題になっている。

朝日新聞阪神事件をはじめ、時の首相中曽根康弘などの暗殺未遂事件など。

1987年5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に男が侵入して散弾銃を発砲、記者2人を殺傷した。

犯行声明を報道機関に送りつけながら「赤報隊」は事件を重ね、いずれも未解決のまま2003年に完全時効となった。



元幹部が団体が朝日新聞に対して反感を持っていたことを証言。

団体がやっていた商行為を詐欺行為、と朝日新聞が批判していたからだという。

兵庫県警の元捜査官は、この団体を1カ月ほど捜査した段階で、上司からその中止を命じられた、と証言する。

統一教会創始者文鮮明氏の発言録全615巻(約20万ページ)の中で、

日本の歴代首相で最も多く言及があったのは自民党中曽根康弘氏だ。

韓国語で記された発言録には、文氏が中曽根氏を政界工作に利用しようとした一方で、

安倍晋太郎元外相の処遇を巡る中曽根氏への「恨み節」が書かれていた。

文氏は1988年2月18日の説教で「一昨年(86年)の選挙当時に日本のカネで60億円以上使った」と振り返り、

「お金を使わないといけない。これからは尋常ならざる時だ。国会の局面をうまくつかまなければいけないと思って、

国会に新しく出てきた人々を私たちが……」

この衆参同日選で自民党は大勝。教団系政治団体国際勝共連合」が発行する機関紙「思想新聞」は、

当選した638人のうち130人を「勝共推進議員」と報じた。



中曽根氏は自民党を勝利に導いた功績により、党総裁任期が1年延長され、異例の首相続投を果たした。

だが、87年総裁選の「中曽根裁定」と呼ばれる中曽根氏の後継指名では、文氏の期待とのすれ違いが起きた。

安倍晋太郎氏、竹下登氏、宮沢喜一氏の3候補のうち、中曽根氏が後継に選んだのは、竹下氏だった。

文氏と関係が深かった晋太郎氏は選ばれなかった。

文氏は冒頭の説教で「中曽根の野郎は今回、裏切ったけれども……。韓国の政治的な風土に大きな損失をもたらした。
あいつが竹下を推していなかったら、安倍(晋太郎)が首相になったはずだった」と憤った。

35年前の憲法記念日に放たれた銃弾は、分断と不寛容が指摘される現代に、何を問いかけているのか。

あの日の午後8時15分。阪神支局に散弾銃を持った目出し帽の男が無施錠のドアから入ってきた。

いきなり犬飼兵衛(ひょうえ)記者(18年に73歳で死去)を、次に小尻知博記者(当時29)を撃った。

小尻記者の体には薬莢内の容器が入り込み、散弾粒約200個がはじけ、翌日未明に亡くなった。

犬飼記者は右手の小指と薬指を失う重傷だった。

事件から3日後、東京の共同、時事両通信社に声明が届いた。差出人は「赤報隊 一同」。



赤報隊を名乗った犯行声明と脅迫文は、阪神支局襲撃を含めて8件あった。

87年1月に東京本社の窓に散弾銃が撃ち込まれたのが最初の事件。

2日後に声明文が通信社に届いたが、公にはならず、警視庁が弾痕や散弾粒を確認したのは8カ月余り後だった。

阪神支局襲撃後の声明文には、東京本社で発砲して「警告文」を送ったが、無視されたとして「天罰をくわえる」と記されていた。

87年9月、名古屋本社の社員寮で、居間兼食堂のテレビに散弾銃が撃ち込まれた。

居間には誰もいなかった。近所の住民が発砲音を聞き、寮から出てきた目出し帽の男を目撃。

通信社に届いた声明文には「反日朝日は 五十年前にかえれ」と書かれていた。

50年前の37年は日中戦争が始まった年だ。

警察庁は87年9月、阪神支局と名古屋寮の事件を「広域重要指定116号事件」に指定。後に東京本社などの事件が追加された。

静岡支局の駐車場では88年3月、時限式爆発物が仕掛けられ、不発だった。

同じ頃、首相だった竹下登氏の実家、前首相の中曽根康弘氏の事務所にも脅迫状が届いた。

NHKは、「兵庫県警の元捜査官の証言は、この団体を1カ月ほど捜査した段階で、

上司からその中止を命じられた」と報道。この団体とは、統一教会勝共連合

「特命取材班」は、右翼とある宗教団体に注目するようになる。

この宗教団体は、各地に銃砲店を経営し、信者たちが共同生活をする施設ももっていた。

右翼団体と宗教団体の双方にからんでいる人物が浮上する。

彼は元自衛官でアフリカの紛争地で外人部隊に所属した経歴の持ち主でもあった。

右翼の街宣活動をやっていたその人物に、樋田記者らは迫る。しかし、逃走されてしまう。

赤報隊事件」が時効を迎える半年前に、社会部デスクとなった樋田記者のもとに匿名の電話があり、

一度は迫って逃げられた元自衛官こそ犯人である、との情報がもたらされた。

さらに、右翼団体の関係者からも同様の証言を得る。しかし、元自衛官はすでに自殺していた。



ドキュメンタリーにおいて、NHKの取材班もこの宗教団体に注目した。

元幹部が取材に応じて、当時のメモをみながら団体が朝日新聞に対して反感を持っていたことを証言。

団体がやっていた商行為を詐欺行為、と朝日新聞が批判していたからだという。

兵庫県警の元捜査官は、この団体を1カ月ほど捜査した段階で、上司からその中止を命じられた、と証言する。

笹川良一ら日本の右翼が「勝共連合」を日本に引き入れるため、統一協会開祖の文鮮明らと密議を行ったのが「本栖湖会談」(67年)。

参加者の一人は「本栖湖会議は、文鮮明をはじめて迎えて反共連盟をつくり、反共運動をやろうということだった」と会議の目的を語っている。

本栖湖会議を経て、笹川良一安倍晋三元首相の祖父にあたる岸信介元首相らが発起人になって「勝共連合」が68年に日本でも発足。

岸元首相は、その後も「勝共連合」と強い関係を持ち、

70年に関連団体の「WACL(世界反共連盟)日本大会」での大会推進委員長を務め、

74年と76年の統一協会主催の「希望の日晩さん会」の名誉実行委員長を務めている。

本来、統一教会と保守政治家との癒着を最も強く糾弾すべきは、日本の保守を主張する勢力であったはず。

だが彼らは、反日の教義を棚上げにし、反共という一致で同教会を頼りになると思い、助っ人に選んだのだ。

日本の保守派と統一教会の蜜月が、安倍氏襲撃事件の発端であり、歪んだ政治を生んだ。

それを認めたくないために政権は抵抗している。