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石井紘基刺殺事件。

石井紘基議員は「国会の爆弾発言男」と呼ばれていた。

国会議員となった石井氏は、この国の実態を明らかにしようとした。

小泉内閣が掲げる特殊法人の問題に関しても、石井氏は誰よりも早く目をつけ、徹底的な追及を行った。

石井氏が手に入れた資料は、国会を揺るがしていった。

事件直後、関係者は、議員会館に残された資料を運び出し、ある場所に保管した。国会議員としては異常とも言える63箱の膨大な資料。

2002年10月25日、民主党衆議院議員石井紘基が、世田谷区の自宅駐車場において柳刃包丁で左胸を刺され死亡。



翌10月26日、右翼団体『守皇塾』代表の伊藤白水が警察に出頭し逮捕される。

伊藤は「生活に困窮し家賃の工面を断られたため、仕返しでやった」と供述したが、恨みを抱くに至った理由としては安易で、

石井氏が国会議員や官僚の腐敗を徹底追及していたことから「暗殺された」との見方もあった。

10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井氏は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言したという事実などが挙げられている。

2004年6月18日、東京地裁無期懲役の判決が言い渡され、判決では被告が主張する「金銭トラブル」という動機を信用することができないとした。

公判では伊藤は一貫して事件の犯人は自分1人の単独犯であり、金銭苦による犯行であるという主張を変えなかった。

事件当日、石井の鞄には国会質問のために国会へ提出する書類が入っていたが、事件現場の鞄からは書類がなくなっており、いまだに発見されていない。

国会では審議されない、一般会計の4倍相当の金額を有する特別会計について、質問予定だったとされている。

石井議員の左の中指は切断されていた事が明らかになっている。



2010年10月に放映された「報道発 ドキュメンタリ宣言」で、法医学者の上野正彦氏は、指は外側から切断されており、カバンを握った手が邪魔だっために指を切断したのでは無いかと推察。

また、この番組内で、服役中の伊藤は、テレビ朝日に向けた手紙内で「当方の事件は、いろいろと政治の裏側で動く金と人脈が関係しており-」と明かしており、

面会時のインタビューに対しても「でたらめを言わざるをえなかった」「本当の事を言えば頼んだ人が誰かを言わなくてはいけなくなる」

「殺害を頼まれた」「それを言えばその人の顔に泥を塗る事になる」と答えたと報道された。

当時の小泉政権で経済相兼金融相を務めていた、竹中平蔵氏。

金融問題処理を担当していた竹中氏は、ニューズウィーク誌のインタビューで、「大銀行といえども大きすぎるから潰せないとは思わない」と、大銀行の破綻処理を示唆する発言をした。

この発言を受けて、株式市場が大暴落。

株価は最終的に、小泉政権発足時(2001年4月)の日経平均株価(約14,000円)から、ほぼ半値近くの最安値(7,607円 2003年5月 公的資金投入発表前)まで下がった。



そして、りそな銀行への公的資金投入が発表されると、金融恐慌の不安が払拭された株式市場は猛反発し、株価は急騰、

あらかじめ安値で日本株を取得していた外資系ファンドは、このシナリオにより莫大な利益をあげたと言われている。

りそなを担当していた2社のうちの一社、朝日監査法人りそな銀行の監査を担当し、

最後まで会計ルール上の問題で銀行を破綻に追い込むことに反対していた会計士の平田氏は、りそな銀行破綻の一ヶ月前に、不可解な自殺を遂げた。

公的資金で救済された後のりそな銀行が、自民党への融資残高を10倍にしているというスクープ記事を書いた記者が、東京湾で水死体で発見されるという、不可解な死を遂げた。

竹中平蔵氏が、アメリカの証券会社ゴールドマン・サックス日本に呼び込んだことが、のちの郵政民営化につながっていく。

国務大臣は在任中不動産取引を自粛することが大臣規範で求められていますが、竹中氏は任期中に不動産を売却していた。

この大臣規範違反を国会で追求され、竹中氏は、妻が代表の会社の法人格が売買したものであるから、自分は関知していないと弁明。



竹中氏が金融大臣に着任したのが、2002年9月30日であり、竹中プランが発表されたのが、同年10月30日。

まさにこの1ヶ月の間に、石井紘基氏の事件が起きた。

竹中プランの公表された日は、石井氏が不透明な不良債権処理に関する追求を行う予定だった日の2日後。

石井氏は統一教会問題にも尽力していた。

「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった」