自助は当たり前で、自分が生きるために頑張るのは当然のことだ。
そんな当たり前のことを、なぜ、菅総理は総理就任時に声高々に述べたのか。
「公助はしませんよ」というのは言い過ぎだろうが、今まで以上に「公助は引き締めます」ということだ。
菅総理の「自助・共助・公助」をめぐって、
立民の枝野代表が、2005年7月29日に「生活保護はまさに自助・共助・公助だ」と発言している。
そもそも、民主党政権時代にも、野田佳彦元首相は、2012年10月31日衆院本会議において、
「社会保障制度については、自助、共助、公助が最も適切に組み合わされることが必要であります」
との発言をしている。
立憲民主党は、党名を変えたら、過去の発言もすべて流すのだろうかと指摘する人がいる。
相変わらず、野党がやっているのだから自民党がやってなにが悪い論。
仮にそうだとしても、悪いことは正すのが当たり前。
こうやって、国民に、立民も同じだと植え付ける。
生活保護の話は、自助、共助、公助と、流れの話で、生活保護はまさに公助。
「最後は政府が責任をもって面倒見ますよ」という話だ。
野田元首相の話もそうだが、「最も適切に組み合わされることが必要だ」と述べている。
自助ありきの話ではない。
災害対策では「まずは自助で、ダメなら共助、ダメなら公助」という関係性ではない。
自分たちがやるべきこと、地域などがやるべきこと、政府(公的機関)がやるべきこと、
つまり「自助、共助、公助」という3つが連携し、相互に補完することが重要だとされている。
まさに、野田元総理が述べている、「適切に組み合わさる」ことが最も大事なのだ。
被災にあった人、頑張っている人に、さらに「がんばって」は禁句と言われた。
菅総理は、そういう人たちに頑張りを上から押し付けているのだ。
菅総理は、まず「自分のことは自分でする」
次に「周りで助け合う」ということを前面に押し出している。
同じ言葉でも内容が違うのだ。
最初に菅総理がカードを見せた時には、公助の話は出てこない。説明もない。
だからマスコミも突っ込んだのだ。
さらに、訳知り顔で、「自助」の概念は、阪神淡路大震災時に防災の用語として広まった、
という解説もあるが、筆者が「自助」を知ったのは、中学時代英語の諺からだ。
その後、サミュエル・スマイルズ『self-help』(1859)の冒頭に掲げたものであることも知った。
少し考えてみれば、自助(self-help)は、古今東西、当然のことであることがわかる。
それを菅首相が持ちだしたところ、批判するというのは、常識外れというか的外れだろう。
「自助」をいうから、自己責任を押しつけるとかいう、「抽象的な」議論はもともと菅首相には向いていない。
そんなくだらないことをいうなら、この問題に具体的な解決策を示せというのが、菅流の対応なのだ。
と菅総理を持ち上げ解説した。
上の筆者は頭の良い御仁だから中学時代に英語のことわざで知ったのだろうが、
そもそも、言葉の起源とか最初に使われたことを話しているのではなく、
日本で広まったのが阪神淡路大震災時頃からではないかと言っているだけだ。
それ自体的外れだ。それさえ的外れなのだから、本筋も当然的が外れることとなる。
むりくり擁護しようとすると、自分の的外れにも気付かない。
「抽象的な」議論はもともと菅首相には向いていないと抽象的に擁護するが、
「自助・共助・公助」発言は、国家像を語るスローガンとしては、何の工夫もない、
日本の将来を見据えたビジョンが全く感じられない、抽象的な言葉だとあえて言う。
残念ながら、何も伝わってこない。
だから、むしろ、反感を覚える声が出てきたのだ。
国民は、新型コロナ渦で疲弊し暴風雨でいまだ傷がいえない。
そんな最中に自助共助を持ち出す神経がどうにかしている。
散々頑張っている中、さらに自分たちで頑張れと。
菅総理には、まだ頑張りが足りないと映っているのだ。
要は国民を信用していない。
お前たちの頑張りはまだ少ない、足りないと。
第2次安倍政権以降、「自己責任」が強調されてきた。
自民党には生活保護受給者を必要以上にバッシングする国会議員も現れた
そうなれば、政府と国民の相互不信がますますエスカレートする。
分断を生むこととなる。
格差や貧困、雇用の不安定などによって、私たちが暮らしを維持することが、
以前と比べて大きく揺らいでいる。だからあまり金を使わず貯蓄が増える。
それを助長しているのが、麻生大臣の2000万円発言など自民党そのものだ。
安易な発言で自分たちの政策を絞めている。
それを国民のせいにされたらたまったものではない。
家計負担、社会保障や老後を不安視する国では、過度の負担をしたくない、
あるいはさせたくないとして、人間関係が疎遠になる。
自助や共助ばかりを強調し、過度な負担を押し付けると、「絆」は崩れていく。
以前は親の面倒は子供がみるのが当たり前だったが、
今は子供に面倒をかけさせたくないと、親が遠慮して孤独になっていく。
時代の流れもあるが、社会全般がますます「生きづらく」なり、
自分が勝ち残ることにこだわるしかない社会になっている。
安倍政権下では公文書の改ざんや破棄、お友達への優遇措置、
国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽、統計不正など、様々な疑惑や不祥事。
結局、アベノミクスのトリクルダウンは下まで流れるとウソを付き、自分たちだけが甘い汁を吸った。
それを継承する、当事者の菅政権に期待できるのか。
2019年2月26日の菅長官の会見で
東京新聞の望月衣塑子記者が「会見は政府のためでも、メディアのためでもなく、
国民の知る権利に応えるためにあるものだと思いますが、
この会見を一体何のための場だと思っているのか」と質問。
菅官房長官は菅元長官「あなたに答える必要はありません」と言い放った。
望月さんは当時の菅官房長官の対応を、
「菅さんの回答は記者を馬鹿にしたものだし、
私のように政府を追及して質問を重ねる記者はこういう仕打ちに遭うんだということを示す、
見せしめのような意図も感じました」と振り返る。