政治・経済、疑問に思うこと!

より良い日本へ願いを込めて。

下の名前で呼ぶのも抵抗があります。

同性はもちろん、異性に対してはなおさら時間がかかるタイプで、

それこそ仮免期間が必要になります。

「なんて呼んだらいい?」

若い頃は、互いの名前をどう呼び合うか話し合う、甘い時間がありました。

呼び方は、2人の距離を象徴し、実感するものでもあるので、

下の名前で呼ぶにはそれなりの関係性を構築する時間が必要です。

しかし、これに関しても、大して関係性を築いていないのに、

平気で下の名前で呼べてしまう人がいました。

学生時代。サークルの女子に対して「カオル、飯行く?」とか「ヒトミ、今日来てないの?」とか、

付き合ってもないのに自然に下の名前で呼ぶ男。

いったい、どういう家庭環境で育ったのか。どこかで特別な訓練を受けたのか。

 

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帰国子女ならまだしも、埼玉に住んでいる分際で、

そんなに親しくない女子たちを下の名前で呼んでいる。いつ距離を詰めたのか。

いや、そう呼ぶことで詰めているのか。

どこかでうらやましいという気持ちもあったかもしれません。

しかし、私はそんな男にはなりたくない。

そして、よほどのことがないと下の名前で呼べない自分を、嫌いにはなれない。

外資系では、社員同士、相手が上司だろうが敬語を使わず下の名前で呼び合う会社もあるようです。

そんな環境に配属されたら、私の体はたちまち蕁麻疹(じんましん)のようなものが出て、

「下の名前外来」に通院することでしょう。それに慣れてしまっても嫌なのです。

そもそも海外の略し方は理解に苦しむものが多いです。

ロバートがボブになったり、リチャードがディックになったり。もはや、略すというより変換。

「鈴木みゆきなので、チコって呼んでください」みたいなことでしょうか。非常にアメージングな世界です。

「常連」と呼ぶことにも、私はシビアな基準を設けています。

2、3回行ったくらいでは「常連」とは言えません。

しかし、1度しか行っていないのにもかかわらず、常連面する奴もいます。

自分が常連だと思っていても店側がそう思っていない場合がある一方で、

芸能人などは、1度しか行っていなくても「よく来るよ!」と誇大広告を出されたりします。

わんぱくでもいいが、大して行っていないのに「行きつけ」「常連」感を出すような男には絶対なるなと、

息子がいたら言うでしょう。

 

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‘@誰の文章かと思えば、ふかわりょうさん。

いい文章を書くものだ。

同感。

スナックの女の子をいきなり呼び捨てにする客。

大体、スナックの女の子は下の名(仮名の場合も)で名乗っているが、

マリとかヨウコとか呼び捨てる神経は私にも分からない。

因みに、銀座のクラブで本名で名乗っている店は結構あった。

お客様もそれなりの人が来るのだから、店のホステスも本名を使用するというママの方針だ。

それと、何で偽装の名前で仕事をしなくてはいけないの?

プライドみたいなものがあったのかもしれない。

そういえば、コロナ渦、銀座の彼女たちはどうしているのだろうか。

常連もそうだが的を得ている。

私の回りでも、1度行けば、「たまに行くよ」2度行けば、「その店よく行くよ」

3度行けば、「あ~おれ、その店の常連」と語る人もいる。

まぁ、たいした話ではないけれど(笑)オーバーに表現する人はよくいる。

ふかわさんはそのうえで、

例えば三軒茶屋二子玉川、略したことがありません。

こうして表記することさえ抵抗があるのですが、

「三茶」「二子玉」と呼ぶにふさわしい基準を私は満たしていないのではないか。

そんな葛藤があり、スッと言えないのです。

だから、大して関わりもないのに、自分の庭のように「三茶」と発している人を見ると、

憧れを通り越し、なんてデリカシーのない奴だ、きっと人の家に上がって、

勝手に冷蔵庫を開けるタイプだろう、と秘かに軽蔑の眼差しを向けています。

私には、略す資格がない。

 

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そんな私がずっと不思議に思っていたことがあります。

それは、「祖師ヶ谷大蔵」。東京在住ならご存知の方も多い、小田急線の駅名。

こんなに長いにもかかわらず、いままで略している人に遭遇したことがありません。

「ソシクラ」「がやくら」「ソッシー」など、やろうと思えばいくらでもできるのに。

なぜ誰も略さないのか、ずっと疑問だったのです。

しかし、答えが出ました。「祖師ヶ谷大蔵」には、

略してはいけないと思わせる神聖な美しさがあるのです。

見た目もさることながら、流れるようなフレーズは口にするだけで心が洗われる気分になります。

だから皆、「祖師ヶ谷大蔵」と略さず呼んでいるのです。

もちろん「三軒茶屋」と「二子玉川」に美しさがないとは言いません。

それよりも「三茶」「二子玉」には計り知れない語感の気持ちよさがあるのです。

「んちゃ」には童心に返れる音、「ニコタマ」にはちょっと卑猥でキュートな響き。

発したときの口も気持ちよく、クチスタシー指数(私の造語です)が非常に高い。

接点のない人さえも口にしたくなるような快楽が伴い、略称が広く浸透する。

結局、人は気持ちのいい表現を選ぶのでしょう。

(抜粋)

 

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