江崎グリコは14日、江崎勝久社長(80)の長男、江崎悦朗・専務執行役員(49)が、
3月24日付で社長に昇格すると発表。勝久社長は代表権のある会長職に就く。
勝久氏は昭和57年6月以来、社長を務めており、経営トップの交代は約40年ぶりとなる。
2月11日に創立100周年を迎えた節目に合わせ、経営陣の世代交代を進めるとしている。
グリコと言えば「グリコ・森永事件」。
まだ、あの被害者の社長が継続していたとは知らなかった。
「かい人21面相」を名乗る犯行グループによる「グリコ・森永事件」では、
発端となった誘拐事件に被害者として巻き込まれた勝久社長。
公の場では事件について「警察にすべてを話している」として詳細を語らず、
いろんな憶測が飛び交った。
グリコ・森永事件は昭和59年3月18日夜、江崎氏が兵庫県西宮市内の自宅から誘拐されたことで始まった。
犯行グループに現金10億円と金塊100キロを要求されたが、3日後に監禁先の倉庫から自力で脱出。
その後も犯行グループは青酸化合物を混入した製品を店頭にばらまくなどし、
森永製菓など複数の企業に現金などを要求した。
「グリコを たべて はかばへ行こう」「けいさつの あほども え」。
犯行グループは関西弁で報道機関に挑戦状を何度も送りつけ、
「劇場型犯罪」という言葉を生んだ。しかし事件に象徴される「キツネ目の男」ら、
犯行グループの摘発には至らなかった。
誘拐事件は平成6年に時効を迎えた。
警察庁指定事件では初めて未解決のまま捜査が終結した。
事件を模倣・便乗した食品メーカーへの恐喝事件も相次いだ。
事件から30年後の26年には江崎氏宛てに現金を要求し、
応じなければ商品に毒物を混入するという脅迫文を送りつけたとする恐喝未遂容疑で、
男が逮捕される事件も起きた。
グリコ・森永事件が社会に与えた影響は大きかった。
事件を機に菓子・食品業界では、商品を開封したことが分かるように包装に安全対策が施されるようになった。
なぜ事件が起きたのか、真相は今も明らかになっていない。
勝久社長が何も語らないので、グリコ側に何らかの落ち度があったとされる「グリコ原因説」や、
「グリコ側が犯人グループと裏取引をした」との一部報道も。
江崎社長は疑惑を強く否定し、警察当局の捜査でも裏取引などを裏付けるものは確認されなかった。
「3億円事件」同様、「グリコ・森永事件」も深い謎のまま、闇に消えて行く。
昔、グリコで働いていた彼女がいた。
わたしの若さ(バカさ)で別れてしまった。
彼女が出ていく時に、私は映画館で時を過ごした。
涙でスクリーンが見えなかった。
帰宅したら、テーブルの上に「いつまでも愛しています」と書いたメモが置いてあった。
「バカヤロー」と書いてくれた方が救われた。
幸あれ。