「朝生」で田原総一朗氏が公明党議員に質問。
ジャーナリストの田原総一朗氏が司会を務めるテレビ朝日「朝まで生テレビ!」
3日放送の番組では「政界激震! 旧統一教会と日本の政治」のテーマで討論。
旧統一教会と政界との癒着が世論を騒がせる中、
田原氏は創価学会を支持母体とする公明党衆の国重徹衆院議員に対して、
「統一教会と創価学会はどこが違うんだ? 証明してください」と水を向けた。
国重議員は「政治と宗教一般の問題ではなく、社会的トラブルを多く繰り返している団体と、政党政治家との関係の問題。
ここはしっかりしておかないとミスリードする」と発言。
田原氏が再度「具体的に統一教会と創価学会はどこが違うのか説明して」と問いただすと、
「統一教会は霊感商法とか法外な寄付を要求したりとか、不法行為、違法行為を繰り返していますけど、
創価学会はいっさいありません」とキッパリ否定。
政教分離が改めて問われる中、旧統一教会と創価学会は一線を画す組織であると主張。
‘@創価学会を支持母体とする公明党が対応に苦慮している。
党幹部は霊感商法などの問題が指摘される教団と同一ではないと訴えるが、
関係者は「宗教団体に対する悪いイメージが増した」と嘆く。
9月で任期満了となる山口那津男代表の交代もあり得るが、
交代したからといって何ら変わるものでは無い。
政権に関わる党で、議員全員が同じ宗教の信者というのは世界的にも珍しい。
創価学会に嫌悪感を持つ人は多い。
党幹部は霊感商法などの問題が指摘される教団と同一ではないと訴えるが、
関係者は「宗教団体に対する悪いイメージが増した」と嘆く。
9月で任期満了となる山口那津男代表の交代もあり得るが、
交代したからといって何ら変わるものでは無い。
政権に関わる党で、議員全員が同じ宗教の信者というのは世界的にも珍しい。
創価学会に嫌悪感を持つ人は多い。
わたしの周りでも嫌いだと言う人は多い。
統一教会と同じだと言う人もいる。
ただ、昔に比べれば弱くなっているようにも思われる。
なぜかと言えば昔ほど攻撃的ではなくなったからではないか。


布教活動は「折伏(しゃくぶく)」と呼ばれ、相手を論破して強引に入会を迫るやり方が取られた。
人を幸せに導くのが使命だとして、折伏が信者の幸せに繋がるとして積極的に行われた。
ほかの宗教や宗派の信仰を一切認めないという、他を排除するという姿勢を取っているため、
そうした信仰上のかたくなさも、創価学会が嫌われる要因だ。
だから鳥居はくぐらないとか、神社に行くと頭が痛くなるとか。
ところが今日では、そうした面が少なくなった気がする。
昔は多額の寄付をする人もいたが、ある意味安定したのかも知れない。
選挙の前に聖教新聞を余分に購読する。
余裕のある人は数部購読する。
それだけでも、全国で見れば相当の金額になる。
後は、選挙の時にはなりふり構わず、全国の知人に電話攻勢などをかける。
それも嫌がられる一因だろう。
強引な折伏は少なくなり、新しく会員になるのは、会員の家の新しい子。
聖教新聞には、かつては敵対する勢力や裏切り者を罵倒する言葉があふれていた。
そのこと自体が、わたしは宗教らしくないと思う。
いまも多少日蓮正宗を罵倒することはあるが、他は無くなった。
以前に、公明党幹部に「罵倒するような記事はみっともないから止めた方がいい」と進言したことがある。
それ以来ほとんど見なくなった気がするが。


週刊誌などが、創価学会にまつわるスキャンダルを書くこともほとんどなくなった。
実際スキャンダルもほとんどないのだろう。
わたしの知る学会員もみんないい人達ばかりだ。
日本人の中には山や太陽を拝んでも訝しがらないが、団体的な宗教にはアンテナが反応するきらいがある。
宗教は揉め事を起こすと考える人も少なくない。
ただ、それは宗教が悪いのではなく、それを利用して目的を遂げようとする人間が悪いのだ。
宗教と政治の結び付きの齟齬が露呈する。


本来、生臭いものを押さえながら生きようとする宗教と生臭い代表の世界で出来ている政治の世界。
そもそもが相容れない筈だ。
票を得るためには悪魔にでも身を売る。それを堂々と述べる人もいる。
宗教が政治の世界に入り込もうとする行為自体が邪道な気がする。
人を押しのけ戦うのが宗教ではない筈だ。
そういう意味では以前に比べたら創価学会も熟成してきたのかも知れない。
政治には必ず裏と表が生じる、妥協しなければならない。
宗教は妥協ではなく寛容だ。
一つ言えることは誘って入信しないからといって頑固だと言われても、それは違うだろう。(笑)