広島市の平和記念式典(6日)と長崎市の平和祈念式典(9日)で、
安倍総理のあいさつの文面が9割以上同じだったことについて、
「何のために来ているのか」
「ばかにしている」
「心に響かない」といった批判の声が上がっている。
私の記憶が正しければ、同じようなことが毎年行われている。
今更感が否めない。
その後の会見もそうだが、長崎市での平和祈念式典出席後に例年開いているもの。
予定通りに長崎市政記者クラブと内閣記者会の幹事社質問を1問ずつ計2問受けただけで、
追加質問を求める声が上がる中、約18分で終了。
その時に、安倍総理の手には用意された答弁書の字面がアップで映し出されていた。
あえて見せているのだ。
「きみたち、見えるかい。もう決まっているのだから、余計な質問しないように、わかれよ!」
式典のあいさつにしてもそうだが、確かに、式典の文言は同じような内容になりがちだが、
それでも、優秀な官僚がいるのだから、やらせればできる。
あえてしないのは、そこに意味があるのだ。
「『核兵器禁止条約不参加』など、毎回同じ質問でうんざなんだよ。」
「もう来ないでくれ」と言ってくれるのを待っているのかもしれない。
安倍総理はイヤなものはイヤで、本当はやりたくない。
しかし、どうしてもやらなければいけない時には、どこかで意思表示して気を紛らわす。
だから、国会でのヤジも我慢していても、どうしてもでるのだ。
我慢しきれないのだ。おぼっちゃまだから。
広島「黒い雨」訴訟、国が控訴。