‘@今の政治家はどれだけの覚悟をもって改憲を訴えているのか。
三島由紀夫氏が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で、割腹自殺をした「あの日」から、今年で50年。45歳
私費を投じて学生たちを集めて私設軍隊ともいうべき「楯の会」を結成。
1970年11月25日、自衛隊の市ヶ谷駐屯地へ仲間と共に行き、クーデターを呼びかけ、切腹した。
その現状に自衛隊も納得していることを憂え、怒っていた。
三島氏は、自民党政権が憲法を改正して自衛隊を国軍にする気がないこと、
その現状に自衛隊も納得していることを憂え、怒っていた。
総理大臣が自ら憲法改正を訴えている現在と違い、
50年前は「憲法改正」を叫ぶ者のは、反体制とみなされていた。
三島氏は作家だけではなく、俳優として映画に出たり、ヌードモデルになったり、
ボディビルをしたりと、文学の枠組みをはみ出した、とらえどころのない人人物であった。
五社英雄監督の『人斬り』への出演依頼があり、三島は出演した。
石原裕次郎が坂本龍馬を演じ、三島は土佐藩と対立する薩摩藩の暗殺者・田中新兵衛を演じた。
この『人斬り』で、三島は劇中に切腹死する。
その前の1966年にも、自作『憂国』を自ら脚色、監督、主演した同題の映画のなかで切腹している。
三島氏はなぜあのような死に方をしたのか。
私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。
私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、
政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、
私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。
その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。
これも「男の意地」であろうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、
否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、
中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
(合掌)
‘@いろいろな約束を果たせぬ間々死んでいく己には悔いしか残らない。
(無惨)