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​コンペ後の会食で半数が感染、クラスターに。

NHK


「私の体験と反省を反面教師に」

「第4波のいま感染していたら、本当に命を落としていたかもしれません」

兵庫県加古川市の建設会社役員、前川真一郎さん(51)は、

去年11月、新型コロナに感染して重症化し、ICUで治療を受けた。

みずからの体験と反省を「反面教師」として感染防止に役立ててもらい、

医療従事者の助けになりたいと、実名で証言した。



前川さんが感染したのは去年11月上旬、きっかけはゴルフコンペのあとの会食。

当時は年末年始の第3波の前で、政府の「Go Toキャンペーン」も続いていた。

前川さん

「皆と仲間で会いたいという欲望に勝てなかった。自分たちに限っては大丈夫と考えてしまった。

いつものお店を使ってあげようという思いもありました」

11月8日。

前川さんは17人で会食し、3時間にわたって鍋を楽しんだ。

静かに食べようと注意する人もおらず、会は盛り上がった。

翌11月9日。

前川さんの後ろのテーブルにいた参加者が発症。

その後も参加者が次々と発症し、17人のうち8人が感染するクラスターに。

前川さんも12日に39度の高熱を出し、13日には重症者にも対応可能な、

県立加古川医療センターに運ばれ、入院。

前川さん

「この時期、兵庫県では感染が確認された人はすぐに入院や宿泊療養することになっていたので、

私もすぐに病院で治療を受けることができました。

入院先が見つからない待機者がいる今と比べると、恵まれていました」

51歳と働き盛りでしたが、入院後、症状は急速に悪化。

想像もしていなかった「死」を意識。



前川さん

「本当に陸で溺れたみたいになる。どんどん肺の中に水がたまって息が吸えないんです」

前川さんは40度近い高熱が下がらず、入院から1週間後の20日にはICUに入った。

「死にそう」

前川さんはそのときLINEで、妻にそう送りました。

ICUに運ばれたということは、死ぬ確率があるということだと受け止めました。

想像もしていなかった「死」を意識し、自分でもショックを受けました。

「前川さん、大丈夫だからね」

そんな前川さんを支えたのは、医師や看護師の励ましのことばでした。

その後も、ひどい悪寒に苦しみ、ひとりで寝返りをうつこともできない状態が続き、

退院できたのは21日後の12月4日。

入院前から体重は9キロ減った。

退院後も深呼吸すると肺に痛みが続く後遺症に1か月間、苦しめられた。

「第4波(医療ひっ迫)のいま感染していたら、本当に命を落としていたかもしれません」

前川さんがそう振り返るのには、明確な理由がある。

前川さんは、感染したとき、ひどい息苦しさに悩まされた。

血液中の酸素の状態を示す値「酸素飽和度」は、酸素マスクをしていても80%台と、

正常値とされる96%以上を大きく下回ることもあった。

それがいま、第4波で医療体制がひっ迫する自治体では、

結果として70%台でしか入院できないところもあることをニュースで知った。



前川さん

「70%台なんて生きているのが不思議なくらい。いまかかっていたらと思うとぞっとします」

苦しい闘病のさなか、ベッドの上でひとり、誕生日を迎えた。

悲しい思いをしていると、看護師が突然「前川さん誕生日おめでとう」と入ってきて、

バースデーソングを歌ってくれた。

昼食には誕生日ケーキとメッセージカードのサプライズプレゼント。

本当にうれしく、感激しました。

そんな看護師たちから、時折、つらい気持ちを聞くこともありました。

「一番ほしいのは人。あまりにも人手が足りない」

感染症病棟で勤務しているので恋人や友人にも会えない」

懸命に自分の命を救い、その後も終わりの見えない戦いを続けている医療従事者を助けたい、

という思いを強くした前川さん。



みずからの体験と反省を「反面教師」として共有し、感染防止に役立ててもらおうと、

実名での証言を始めた。

「コロナの時にアホの役員が飲みに行くなよ。どんなあほの会社やねん」

「コロナをまき散らすな」

会社には電話やメールで数件の批判が寄せられたが、想像よりも批判は多くなかった。

前川さん

ICUで治療中は呼吸が止まるのではと苦しさと恐怖で眠れない夜もありました。

あの時、会食したことをとても後悔しています。絶対、自分は大丈夫ってことはないので。

すごい迷惑をかけてしまう病気なので周りのことを考えて注意していただければなと思います」

(取材:神戸放送局 記者 初田直樹)