ゼレンスキー氏が19年5月に大統領に就任した直後から、
トランプ大統領(当時)は個人弁護士だったルディ・ジュリアーニに命じ、ゼレンスキー大統領に、
ジョー・バイデンの次男ハンター氏とウクライナのガス会社に絡む疑惑について調査を行わせようとした。
翌年の大統領選を前に、対抗馬となるバイデンに打撃を与えることが狙いだった。
ジュリアーニ弁護士は、ゼレンスキー大統領に協力するのは、
アメリカとの関係が「はるかに良好なものになる材料だ」と持ち掛けた。
既にウクライナでは政府軍と親ロシア派の5年にわたる戦闘で、約1万3000人の犠牲者が出ていた。
ゼレンスキー大統領にとって、米大統領からの支援は何としても欲しかった。
3日後の7月25日、ゼレンスキー大統領はトランプ大統領との電話会談に臨んだ。
このときトランプ大統領はゼレンスキー大統領に対し、
バイデンの次男の疑惑について「あらゆる手を尽くす」よう、一層の圧力をかけた。
この電話会談の間、ゼレンスキー大統領はトランプ大統領に、
「あなたは私たちの偉大な手本だ」と褒めそやし、取り入るような姿勢を示した。
だが、具体的な行動を確約することはせず、トランプ大統領の要求を最後まで受け入れなかった。
トランプ大統領は不満を隠さず、ウクライナへの約4億ドルの軍事支援を保留した。
この会談の概略が公になると、ゼレンスキーは「卑屈だった」「トランプに同調しすぎた」という批判が起こった。
後に「トランプがゼレンスキーを脅した」という内部告発が起きた。
結果、ゼレンスキー大統領はトランプ大統領の機嫌を取りながら、
ウクライナを破滅に導きかねない要求に、屈することがなかったという点で、
ゼレンスキー大統領の対応は完璧だった。
ゼレンスキー大統領が要求を受け入れなかった裏には、
アメリカで争う二大政党の一方に肩入れをしたように受け止められ、
もう一方の支持を失うことはしたくなかった戦略がある。
19年9月には内部告発者が通話を暴露したことがきっかけで、
保留されていたウクライナへの約4億ドルの軍事支援が承認された。
米議会は超党派でウクライナ支援を支持する方向になった。
ゼレンスキー大統領は、米民主党が告発内容の調査を立ち上げる1週間前、
同党のクリス・マーフィー上院議員に対し、
ジュリアーニ弁護士からバイデンを調査するよう圧力を受けていたと明かした。
彼はトランプと、トランプの弁護士を「売った」のだ。
自身とウクライナにとって大きな問題に対し、ゼレンスキー大統領は巧みに対処した。
その結果、ゼレンスキー大統領はウクライナへの巨額の軍事支援に、米議会で超党派の支持を得た。
そして、トランプ氏が敗北し、バイデン大統領が誕生してウクライナ支援は急速に高まった。
もしトランプ氏が今も大統領だったら、この戦争は起きていなかったとする話もあるが、
もしトランプ氏が今も大統領だったら、トランプ氏はゼレンスキー大統領の裏切りを許さず、
ウクライナを支援しなかったかもしれない。
だとしたら国際社会がウクライナの味方に付くことはなく、
ウクライナ首都キーウはとっくに陥落していた可能性が高く、ウクライナは今より悲惨な結果になっていた。
あらゆる予想に反して、ゼレンスキー大統領はプーチンとの戦いを継続している。
ゼレンスキー大統領が元コメディアンと揶揄した見方をする人も多いが、完全に見誤っている。