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なぜ誰かを嘲笑する社会になったのか? 

「あざ笑うスタンスが最も安全」〈AERA


マジョリティー側の立ち位置から、真剣に怒っている人をあざ笑ったり、

揶揄するSNSの投稿に「いいね」をしたりする風潮が見られる。なぜ、そんな嘲笑する社会になったのか。

変えることはできるのか。

作家の雨宮処凛さんは、「失われた30年」の経済の停滞や「頑張っても報われない」閉塞感のなか、

ガス抜きの対象を求めているのではと考える。



「失敗して傷つかないよう何もせず、何かをしている人を上から目線であざ笑うというスタンスが最も安全。

沖縄の人たちを笑って踏みにじることで、時の政治や権力者と一体化して自分が偉くなったような万能感や錯覚も得られる。

生活保護バッシングにも共通しますが、怠けて楽をしている奴に俺様が鉄槌を下す、という正義感も満たせる。

本人は世直ししてるくらいの気持ちかも。だからこそ、依存症的にもなっていく」

「批判する」という行為自体を忌避する傾向が、とくに若者にあるのではとも指摘する。

「若い世代はとにかく傷つきたくないという思いのなかで、非常に優しい、

気を使ったコミュニケーションをとっていると感じます。『怒っている人』に対する忌避感が強く、

国会で野党が激しく政権批判をすることもハラスメントっぽく見える。

批判するよりあざ笑うほうがスマートだし、自分たちに合ってるということかもしれません」



「誰かを嘲笑するツイートに『いいね』を押す人に、さほど悪意はないかもしれません。

でも、嘲笑とヘイトクライムは地続き。あざ笑っている時点で、対象はすでに暴力にさらされています。

何かを嘲笑することが、対象になった人へのヘイトクライムの入り口になることは知っておかないと、

自分がものすごく恐ろしいことに加担したと気づいてからでは遅いです」

ジャーナリストの安田浩一さんは、

「人間の激しい怒りによって世の中が変わっていくことはたくさんある。

飲食店やバスで黒人と白人の席が分かれていた1960年代の米国で公民権法を勝ち取ったのも、

身を張って抗議した多くの人がいたから。



今の若い人が法律で定められた最低限の時給をもらえているのも、土日にきちんと休みが取れるのも、

真剣に怒った人たちが変えてきた権利です。そのことを自覚せず、あざ笑う社会では、

ますます社会の停滞を招くと思います。僕は繰り返し、『笑うな!』と言い続けたいです」

(編集部・小長光哲郎)

AERA 2022年11月7日号より抜粋


生活保護叩きへの反論。

① 私たちの税金が生活保護者に。

生活保護含め、底辺労働者を養ってるのは年収1000万以上の人。

それ以下の年収は生活保護者と同じほかの高額納税者により公共サービス受けてる

②不正受給多すぎ。→不正受給は全体の1%も存在しない。

③ 働け!働けるのに受給は不正。→「働けない」or「働いても生活できない人」が受給してる。

そして生活保護の認定基準は資産と収入なので健常者だろうと失業で受給できる。

④ 集団生活にしろ。→メリットなし。初期費用・設備費・維持費・物流費・憲法の居住の自由など問題山積み。

それは現在の月7万程度(家賃除)の保護費より高くなる。

生活保護によって潤ってる安アパート大家や商店街も多い。

⑤俺の手取りor年金は○○なのに。→地域の生活保護費より手取りが少ないようでしたら、貴方も受給してはいかがですか?

生活保護ばかりになったら国が破綻する。→破綻しない。

日本では本来生活保護が受けられるはずの貧困層の内2割程度しか受給できおらず、

これは他の先進国の1/4レベル。むしろもっと多くなくてはいけない。

主な原因は生活保護バッシングと役所の水際対策。

⑦外国人の生活保護が日本人より多い。特定の国が多い。→嘘。受給者の98%が日本人。

しかし外国人も2%ほど生活保護を受けてるのも事実。

しかし外国人生活保護なくしたらホームレスや窃盗犯罪だらけになる。日本のモラルは通用しない



‘@なぜ誰かを嘲笑する社会になったのか?

机上の論理で食う人が増えたからかもしれない。

昭和になってからだろうか、汗水たらして働く人を卑下するようになった。

ホワイトカラーが偉いと勘違いするように。

ネット社会になってその状態がさらに顕著になっている感じがする。

ネット社会で成功した人が声を大にして嘲笑い、それにあこがれる若者が増え真似をする。

だとすればこの傾向は暫くは収まらないどころか益々強烈になっていく。