ー2017年11月2日配信の「ABEMA Prime」で、タレントのパトリック・ハーラン(パックン)氏が
「憲法改正に注目しているのは国内の皆さんだけではない。
2020年に、地球平和の象徴であるスポーツ祭典をこの国で開く、
そのときに世界で唯一の平和憲法を放棄するのか」と発言した際、
小松さんがすかさず「改憲=平和主義を捨てる、ということでは必ずしもないことを、
併せて伝えなければならない」と補足したのが印象的でした。
小松:パックンが言いたかったのは「日本の憲法9条は平和主義なので、
それを改正するのは平和憲法を捨てること」ということでしょう。
しかしその言葉だけでは、一面的な見方を視聴者に与えてしまうと感じました。
憲法改正といっても、対象となる条項はさまざまです。
それに必ずしも9条の文言を変えることが、
戦力の不保持を謳った同条の理念を放棄することになるとは限らないでしょう。
そもそも戦争の違法化は国連憲章に明記されており、
日本国憲法だけが掲げている理想ではありません。
‘@意味が分からない。
戦争の違法化は日本国憲法だけが掲げている理想ではありませんとは、
だから、日本が戦争の違法化を捨てても心配ないということなのか。
国連憲章などだれも守らない。
9条の文言を戦争ができるように変えようとしているから、多くの国民は危惧しているのだ。
パックンは「日本の憲法9条」について語っているので、他の憲法条項について語っているのではない。
学術会議問題同様、論理のすり替えだ。
小松:私は情報発信の場を仕切っている以上、ゲストの発言で言葉足らずな部分があれば、
フォローする責任があります。
‘@氏のフォローが的を得たものでなければ、それはフォローではなくゲストに対する単なる反論だ。
ゲストに対してMCが反論するということは、
ゲストが局の見解と違う意見を述べているので、修正しているように見える。
小松:もちろん、パックンの意見に賛同したり、私の見方のほうこそバイアスがかかっている、と捉えたりする視聴者もいたでしょう。
私は、イデオロギーとして右に寄せたいとか、左の考えを打ち消したいと考えているわけではありません。
日本の平和のために、最高法規である憲法をいかにベストな形にしていくか、との視点が重要です。
必ずしも軍事力を高めることが戦争に直結するわけではないのはもちろん、
脅威に備えることで平和を担保する考え方もあるでしょう。
目的に対していかなる手段が最善なのか、突き詰めた議論を促すのが私の役目です。
‘@軍事力を高めることが戦争に直結しないのであれば、なぜ軍事力を高めるのか。
北の脅威?中国の脅威?そのための備え。
それはまさに、戦争への準備だ。
米国人がなぜピストルを持つのか。
大統領選で分断されピストルの売り上げが増加した。
なぜなのか?
守るため、攻撃するため、争いへの備え。
ピストルを用意するということは争いへ備えること。
争いに直結する。
ごまかしてはいけない。
何もないのに多額の税金を投入して武器を用意する必要はない。
危険を感じるから武器を用意するのだろう。
それは戦争に直結する。
安倍元総理は北の脅威を声高々に打ち上げて米国から大量の武器を購入した。
脅威とは何か。
攻撃されること、それに備えて日本も武器を用意する。
戦争に直結している。
氏も「脅威に備えることで平和を担保する考え方もあるでしょう」と述べているが、
「軍事力を高めることが戦争に直結するわけではない」と言いながら、
「脅威に軍事力を備えることで平和を担保する」と矛盾したことを述べている。
氏は度々矛盾したことを述べる。
だから時として氏の言っていることを理解できない。
立て板に水でしゃべるのだが、心がこもっていないので話が耳に入らないのも特徴だ。
後は本人も認めているが、ゲストの説明を良く否定する。
それでコーナーを閉じるから、ゲストには反論の機会が無くなる。
最悪だ。
分かり易く説明するべきだ。
あの時点では、安倍総理の方がまだ正直だった。
国民も、あの頃は北がミサイルを何発も発射していたので、納得していた人もいた。