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​国難への対応、民主、自民への評価は正しかったか。

東日本大震災10年に自民党政権のコロナ対応と比較する。

©株式会社全国新聞ネット

尾中 香尚里 ジャーナリスト




(抜粋)

東日本大震災東京電力福島第1原発事故から、11日で10年を迎える。

新聞社の政治記者として、当時の菅直人政権の対応を取材した者として、

あの日と、そこから菅首相の退陣までの約半年間は、10年がたつ今でも、強い痛みとともによみがえる。

あの時菅直人政権に向けられた、憎悪にも似た国民の非難は、

政権交代後も安倍晋三前首相らの手で「悪夢の民主党政権」と何度となく繰り返され、

十分な検証もなく国民にすり込まれていった。

「戦後最悪の国難」になすすべもない中、多くの国民が怒りの矛先をすべて政治に向けたことを、

全く理解しないわけではない。だがあの時、政治には比較対象がなかった。

未熟な民主党政権だから対応がまずかったのだ。そんな批判に抗する材料もなかった。

10年後の今、改めて考えたい。その評価は正しかったのか。(肩書はすべて当時)

当時の菅直人政権に向けられた国民の批判は、もう惨憺(さんたん)たるものだった。



震災翌日の早朝、菅首相がヘリで原発の視察に向かったことには、

「最高責任者が官邸を離れた」と非難が殺到。

自衛隊を10万人投入したことに「国防を知らない首相のパフォーマンス」との声もあった。

東京電力に乗り込み政府との統合対策本部を設置したことは、「官邸の過剰な介入」と批判を受け、

(なぜか、そこだけ、ビデオが存在しない)

避難所を訪問すれば、避難者から「もう帰るんですか」と怒声を浴びる場面が繰り返し流され、

非難と嘲笑の的となった。

「政治主導にこだわる民主党政権が、官僚機構をうまく使えなかった」という、

まことしやかな解説もあった。

しまいには、原発を冷却するための海水注入を「菅首相が止めた」という、

わずか数日で誤報と判明した情報を機に、与野党を巻き込んだ「菅おろし」が始まった。



菅首相は国を挙げての「辞めろ」コールを一身に浴びながら、8月末に辞意を表明した。

長年の政権運営の経験を持つ自民党政権なら、違う対応があったのだろうか。

官僚をうまく使えたのだろうか―。
 
2018年の西日本豪雨で大雨特別警報が出され、約11万人に避難指示が出された日の夜、

自民党の国会議員約40人による懇親会「赤坂自民亭」で酒を酌み交わした安倍首相。

大きな選挙のたびに、安倍首相とともに官邸を離れて選挙応援に奔走した菅義偉官房長官

民主党政権を「悪夢」と呼び、2言目には「危機管理に強い」ことを売りにしてきた、

安倍政権の現実とは、こんなものだったのか。

日本列島各地を幾多の災害が襲うたび、この政権の危機管理能力に対する、

筆者の不安は少しずつ蓄積し、ついに昨年、新型コロナウイルスの感染拡大で爆発した。

まず事態の過小評価だ。「コロナは中国問題であり、水際対策でしのげる」と楽観視したため、

市中感染を防げなかった。

当然ながら、市中感染が起きた時の対応も、十分に準備できていなかった。



感染の有無を調べる検査態勢も、マスクや防護服などの医療体制も、

あっという間に逼迫(ひっぱく)した。

すると安倍政権は、今度はその不十分な検査や医療体制を拡充する以上に、

「不十分な検査や医療体制に合わせて患者の方を減らそうとする」挙に出た。

帰国者・接触者相談センターにアクセスする際に設けた「37・5度の熱が4日間」という

「相談・受診の目安」が良い例だ。

厚生労働省が後にこの「目安」を見直した際、加藤勝信厚労相が「4日間」を、

あたかも国民の「誤解」であるかのように語り、大きな批判を受けたのも記憶に新しい。

安倍首相はコロナ禍を憲法の緊急事態条項創設の呼び水にしたい思惑をのぞかせた。

賛否は置いても「今目の前にある危機には絶対に間に合わない」憲法改正には熱心な一方で、

新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言など、

現行法を用いて現在の危機に対処することには及び腰だった。

前後の政府高官の発言を見る限り、緊急事態宣言下で、

政府が外出自粛や店舗の営業自粛を要請した際政府に法的責任が生じ、

補償などの財政措置を求められるのを避けたかったとしか考えられない。



最初の緊急事態宣言の発令は、国内で最初の感染者発見から3カ月近くたった4月7日。

その日の記者会見で安倍首相は、感染拡大防止に失敗した際にどう責任を取るかを聞かれ、

「私たちが責任を取ればいいというものではありません」と言い放った。

緊急事態宣言は結局、当初予定の1カ月では感染収束に持ち込めなかった。

延長を余儀なくされ、地域にもよるが約7週間で解除となった。

新規感染者はいったん減少したが、その後第2波の訪れが懸念されるようになると、

安倍首相は通常国会の延長もせず早々に国会を閉じ、そのまま約2カ月後、

病気を理由に突然辞任してしまった。

後任の菅義偉首相も、もともと安倍政権で長く官房長官を務めただけに、方向性は変わらない。

経済を優先して「Go To キャンペーン」に熱を上げる一方、感染拡大防止策を怠り、

結局緊急事態宣言の再発令、そして首都圏では2度目の延長に突入した。

東京は緊急事態宣言のただ中で、東日本大震災原発事故10年という鎮魂の時を迎えた。



10年を経て当時の菅直人政権の原発事故対応を振り返った時、

筆者には「あの政権があれほどひどくたたかれる必要が本当にあったのか」という思いが、

どうしてもぬぐえない。

確かに震災と原発事故で、特に弱い立場の方々がどれほどの苦難に見舞われたかを考えた時、

絶対評価」であの対応を高く評価することはできない。

政治は自らの決断の結果、苦しむ国民が生じたことを、結果責任として全身で受け止めなければならない。

相対評価」ならどうだろうか。

例えばあの原発視察。東電から事故に関する情報が何も入らないなかで、

原発事故における住民避難と地震津波の被災者支援に向けた情報を得るため、

自ら実情を確認しようとしたことは、それほど責められることだったのだろうか。

避難所視察で怒声を浴びた菅直人首相がその後、

声を上げた人のもとに立ち戻って話を聞き続けたことや、その後の避難所訪問で5時間をかけ、

すべての避難者の声を聞いたことは、あまり知られていない。

国民の痛みを実感せず、十分な支援策もなく、それを執行できる行政の事務処理能力もないまま、

国民にのみ口先で自粛を要請し、自らは「犬と戯れる動画」で、

国民との共感が生まれると信じ込んでいた安倍首相と比較して、

少なくともどちらが、少しでも国民の苦難に寄り添おうとしたのだろうか。



野党・自民党から批判された「自衛隊10万人投入」も、最悪の事態を想定して、

被災者の人命救助に最大限の体制をとろうとした指示を、頭から批判できるだろうか。

コロナ禍で事態を過小評価し、だらだらと長期間にわたって、

国民に痛みを強い続ける安倍・菅義偉政権と、どちらがましなのだろうか。

「官僚の使いこなし」も同様だ。

安倍政権はどうだったのか。PCR検査の拡大も医療提供体制の拡充も、

政権がいくら笛を吹いても踊らない。

「1世帯に2枚を一律に配るだけ」のアベノマスク(この政策が愚策であるかどうかはとりあえず脇に置く)も

10万円の定額給付金も、まともに配る事務処理能力のない安倍・菅義偉政権に、

民主党政権の官僚との関係を批判する資格はあるのか。

繰り返すが、筆者は10年前の菅直人政権の対応が完璧だったなど、決して言いたいわけではない。

だがそれでも、あの時の政権の動きを振り返りつつ「現在」を省みれば、

安倍・菅義偉政権のコロナ禍対応について、

単純に「国難であり、誰がやっても難しい対応だ」といって、安易に是認することはできなくなると思う。

筆者はそれでも「偏っている」のだろうか。評価は読まれた方にお任せしたい。



‘@国民は、政治の腐敗と堕落にすっかり慣れてしまったようだ。