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「私が父ちゃん殺したんや」

NHK

大阪の60代の女性は、夫と近所に住む兄と3人で墓参りに出かけた。

しかし、全員が新型コロナに感染し、入院。

退院した時には、80代の夫も70代の兄もすでに死亡していた。

看取ることも、火葬にも立ち会うこともできなかった。

女性は今も自分を責め続けている。



残された和代さん(仮名)は、後悔を抱えながら夫の遺骨を安置した仏壇に一人静かに手を合わせている。

4月1日、和代さんは夫と近所に住む70代の兄と3人で墓参りに行きました。

普段は新型コロナの感染を避けるため、なるべく外食は控えていた。

しかしその日は、夫の誕生日。

身内だけの少人数ということもあり、お祝いも兼ねて、帰りに3人でステーキハウスで食事をとった。

翌日の4月2日。兄からの連絡で事態は一変。

「高熱が出ている」という。

その後、兄の陽性が判明し、保健所から濃厚接触者になったと連絡が。

和代さんも夫も38度の熱が出た。

しかし、病院が見つからず、なかなか検査を受けることができなかった。

市販の解熱剤を飲みながら自宅療養を続けていたが、薬の効果は、数日で感じられなくなった。

ようやく検査を受けることができたのは、4月6日。

4月7日、夫婦2人とも陽性が判明。

「俺は大丈夫だから、母ちゃん、先行け」

和代さんの症状はどんどん悪化。

4月8日には立つこともできなくなり、保健所に連絡。

救急車で東大阪市医療機関に搬送され、そのまま入院した。

夫は自宅に残って、療養を続けることを選んだ。



しかし、2日後の4月10日。

食事を届けに来た友人が、居間で倒れている夫を見つけた。

連絡を受けた和代さんは、入院調整を行う大阪府に、自分と同じ医療機関への入院を求めた。

しかし「順番があるのでできない」と断られる。

夫は、隣の八尾市の医療機関に入院。

心配な和代さんは、その夜、夫に電話をかけた。

夫は自分が入院することになっても、和代さんのことを気遣っていたという。

夫「母ちゃん、どうなんや?」

和代さん「大丈夫やで、父ちゃん。一緒に帰れるわ」

和代さんが入院している部屋には、ほかにも患者がいた。

もっと長く話していたい気持ちを抑え、すぐに電話を切った。

その後、和代さんは何度も夫に電話をしたが、再びつながることはなかった。

夫と交わした最後の言葉となった。



なぜ、夫に電話がつながらないのか。

その理由は、病院から連絡を受けた娘からのラインで知った。

4月12日 娘からのライン。

「病院から電話あり。午前中に挿管しました。鎮静剤が切れると不快感があるので、ずっと眠った状態です」

夫は入院から2日後、4月12日に容体が悪化し、人工呼吸器が必要な状態となっていた。

このころの大阪は患者が急増し、病床の確保が課題でした。

大阪府は比較的規模が大きい24の病院に対して、軽症や中等症の患者が重症化しても、

転院させずに治療を続けるよう求めた。

夫の入院先も要請の対象になっていた。

4月12日 娘からのライン

「転院の要請出しましたが、望みは薄いです」

夫は転院することなく、同じ病院で治療が続けられた。

和代さんはコロナに感染し入院しているため、夫に会いに行くこともできず、

病院とやり取りしている娘のラインだけが頼りでした。

4月18日のライン

和代さん「父ちゃんのことが気になっています」

娘「父ね 頑張っていると思う」

4月19日のライン

和代さん「父ちゃんのことが知りたいな、何か食べれてるかなぁ」

娘「何もたべれないです 父はずっと寝ています。

口から呼吸器入ってるから意識があると苦しいから眠ってるそうです」

4月20日のライン

娘「父は変わらない状態ですが、肺がほとんど機能していない状態です。このまま週末まで様子みます。

高齢のためもう回復はないかもとの事です」

文面から伝わってくる夫の容体は日に日に悪化していた。

先に入院していた兄が、4月16日に亡くなったと連絡がはいる。

「元気だった兄が亡くなるなんて…」

「夫は大丈夫だろうか…」

和代さんはショックで眠ることができず、体重も大きく減った。

その9日後に夫が死亡。

4月25日、午後2時すぎ、入院先の病院で亡くなった。

最後まで意識が回復することはなかった。



和代さんはその知らせをベッドの上で聞き、泣き崩れた。

翌日、火葬が行われたが、立ち会うこともかなわない。

和代さんが退院できたのは、夫の死から2日後の4月27日。

「一緒に帰れるわ」と電話で話していた最愛の夫は、遺骨となって帰ってきた。

和代さん「今でも信じられない。だから寝てても『父ちゃん』って呼んでんねん。

それで目が覚めて『そういえばいてへんわ』って思って。

骨一つでも拾えたらよかったけど、自分では何も見ていない。

お骨だけ家に来てるけど、ほんまは『この人ちゃうかもしれへん』って思う。

父ちゃんが『ただいま』って帰ってくるんちゃうんかって」

気持ちの整理つかぬまま 自分を責め続ける日々

和代さんが退院してから1か月。

ふと我に返ったとき、墓参りに誘った自分の行動を責めてしまうという。

(合掌)