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​「なぜ入院できない」息子を助けたかった。

母親は息子を助けることはできなかったのか、自問自答する毎日。

入院からわずか6日後、35歳で亡くなった。

「苦しかったのに頑張って くやしいよね」



(抜粋、意訳)

35歳の優也さんは、日頃からたばこは吸わず、酒も飲まず、健康に人一倍気づかっていた。

勤務先には自家用車で出勤し、去年から家族以外の人との外での会食も控えていた。

優也さんは糖尿病の持病があった。

軽いせきと腹痛があったため、翌日からかかりつけの病院などを相次いで受診しました。

4月14日(水)セキが出てる。内科に行ったら風邪と言われた。

コロナではないということらしい。熱が37.7度あるみたい。

4月16日(金)自分で病院に行った。

先生によると、ロタウイルス。コロナではないだろうとのこと。

セキあり。胃腸炎といわれたらしい。

4月18日(日)朝、優也がラインで熱38.8といってきた。

とりあえずロキソニンのんだといってしばらくして少し下がり、汗をたくさんかいて着替えた。

時間がたつとまた熱があがる。

基礎疾患がある人は感染すると重篤化しやすいと聞いていたので、不安になった。

すぐに救急相談センター「#7119」に電話し、すぐに検査を受けたいと頼んだが、希望はかなわなかった。

その翌日の19日、かかりつけ医の紹介で病院で検査を受け、結果は陽性だった。

保健所から電話きて入院対象だけど病院がいっぱいで待つことに。

保健所の人が夜にきたけどず対応がとても遅れていて気になる。

本来ならすぐに病院で隔離すべきなのに、家族にうつるのも仕方ない気がする。

4月21日(水)優也は相変わらず熱が高くてしんどそう。

きょうは昼から病院の看護師さんがタクシーで迎えにきて診察にいった。

この病院で優也さんは「肺炎」と診断されましたが、それでも「ここには入院できない」と家に帰された。

持病のこともあり、すぐに入院させなければならないと、母親は保健所に電話をかけ続けたが、

入院はかなわない。

このころ、兵庫県内の医療機関のコロナ重症病床はひっ迫していた。

「入院調整中」や「自宅療養」の人は、神戸市内だけでも、あわせて1400人を超えていた。

優也さんはせきが続き、苦しみはさらにひどくなる一方。

家族は保健所に相談した上で、救急車を要請した。

救急隊員が到着したとき、血中の酸素の状態を示す値「酸素飽和度」は90。

厚生労働省の手引きでは、呼吸不全のため酸素投与が必要となる状態だった。

救急隊員が保健所に連絡して状況を伝えたが、それでも入院させるという判断はされなかった。



母親は、目の前でもがき苦しむ息子を前に、背中をさすることしかできない。

その日の夜、親子の元を1人の女性が訪ねた。

訪問看護師の藤田さん。

神戸市からの委託を受け、自宅療養をしている患者の健康観察にあたっていた。

この日は朝からおよそ10軒を訪問し、午後9時すぎ、最後に訪れたのがこの家だった。

玄関で出迎えた母親の姿が目に焼き付いている。

玄関を開けて家に入ると、お母さんから『病院の廊下の隅っこでもいいから、

どうぞ息子を入院させてやってください』と土下座して両手を拝むみたいに合わせた。

2階の部屋で寝ていた優也さんは、見たこともないくらい呼吸がとても速くなっていた。

酸素濃縮器を使っていても苦しくて話もできない状態で、『助けてくれ』というメッセージを感じた。

一刻も早く入院して治療しないと命の危険が迫っていた。

藤田さんが帰ったあとの午後10時すぎ、入院先がようやく決まり、優也さんは病院に搬送された。

感染の確認から、すでに3日がたっていた。

4月22日 ようやく本格的な治療が受けられる。

母親は安心した。

入院直後は症状が改善し、食事も取れていることを知らせるLINEのメッセージが届いた。

ただ、医師からは「すでに重症の状態だと伝えられた。

家族は「できることはすべてやってほしい」と訴えた。

4月24日 息子から返信「まだあかん」

「まだあかん」この5文字の返信を最後に連絡は途絶えた。

この日の夕方、優也さんはICUに入る。

4月25日(日) いったいどんな状態なのか分からない。

不安。

病院からは何も連絡がないのでどうなのか。

お見舞いにも行けない。

2週間はそのままらしい。

4月28日(水)朝方4時頃、パパが2階に上がってきて病院から電話がきて、

優也の血圧が下がって危ない状態だという。

うそやろ。

それからは先祖様、神様すべてにお願いしたけどダメだった。

信じられない。

何で母さんはこれからどうすればいいの。

いっしょにまだまだこれから結婚もして幸せにならないといけないのに、

まだまだしたいことたくさんあるのに。

母さんもいっしょにいくから早く迎えにきて。

さみしいやろ。



泣きすぎて、悲しすぎて体がどうにかなりそう。

部屋はずっとこのままにしておくから遊びにいっててもたまに帰ってきてよ。

体調の異変から16日。

入院してからわずか6日。

優也さんは亡くなった。

母親は、新型コロナに感染していたため、最期に立ち会うことはできなかった。

数日後にお骨を受け取ったが、今もその死を受け入れられず、

毎日、優也さんのLINEにメッセージを送り続けている。

最期に手を握ったり、話しかけてあげたかった。どんな気持ちでひとりで逝ったのか、

想像することもできません。いつか既読になる気がして、おはようとか、こんなことしたよ、とか。

いまも生きていた時のようにふるまってしまう。

誰も同じような目にはあわないで。

本気で聞きたい。

もし19日陽性が出たときに入院できてたら、また違っていたのか。

21日の夜、救急車を呼んだ時病院に行けていたら違っていたのか。

これは一概にはいえないだろうけど、私の心のなかには一生残る思い。

突然やってきたわが子との別れ。

息子を助けることはできなかったのか、自問自答する毎日。

母親は神戸市に対し、十分な医療を提供できなかった原因を究明し、教訓にしてほしいと考えている。

息子はコロナと神戸市に殺されたと考えている。

先日、届いた死亡診断書には、19日の時点で『入院が必要とされたが入院できる病院がなく、

保健所から自宅待機を指示されていた』と書かれていた。

コロナの感染は1年以上前から始まっていたのに、なぜ十分な医療の確保ができなかったのか、

しっかりと原因を究明し、もう二度と同じことが起こらないようにしてほしい。

そして、残された家族は悔やんでも悔やみきれない。

だからこそ、「若くても一人ひとりが感染対策の徹底を」と話す。

若くても重症化したり、亡くなったりしてしまうことをもっと多くの人に知ってほしい。

感染した人やその家族は後ろ指を指され、また、差別されることが怖くて、

周りの人に感染してつらかった気持ちを吐露できない。

きっとあなたの近くにもそういう人がいるはずです。

『自分は若いし、元気だから関係ない』とは思わずに、

もう一度、感染対策や日々の生活を見つめ直してほしい。

そしてもう誰も息子のような目には合わないでほしい。

母親は、今も息子の帰りを待ちながら訴える。

NHK