政治・経済、疑問に思うこと!

より良い日本へ願いを込めて。

​新型コロナに限らず生死を分ける運。

諦めない医療チーム。

あるはずの場所に、肺がない。


重度の呼吸不全に陥った男性は2か月間にわたってICUで治療を受け、奇跡的に回復した。

男性の生死を分けたものは一体、何だったのか。



大阪府内に住む久保田朝義さんの感染がわかったのは5月の大型連休の直後。45歳の時。

第4波のさなか、大阪の医療体制が最もひっ迫していた時だ。

喫煙歴はあるものの、特に基礎疾患はなかった。

39度の発熱に加え、味覚や嗅覚の異常を感じ、検査を受けた。

一人暮らしだった久保田さんは自宅で療養を続けたが、熱は下がらず、呼吸も徐々に苦しくなっていった。

久保田さん。

「これはあかんと思って救急車を呼びました。でも、病院がなかなか見つからず、

救急車の中でうめきながら何時間も待った記憶があります」

ようやく搬送されたのは地元の総合病院。感染判明から9日後。

症状はなかなか改善せず、2週間後、高度な治療ができる関西医科大学総合医療センターへ転院。



肺があるはずの部分に黒い空洞

ウイルスによって肺の組織が壊されて穴が空き、肺が潰れて本来の3分の1ほどの大きさになっていた。

まるでふくらんだ風船に穴が空き、中の空気が抜けてしぼんでしまったかのような状態だった。

入院から2日後、久保田さんは肺の穴を塞ぐ手術を受け、集中治療室に。

このとき、人工心肺装置=ECMOと人工呼吸器を装着。

久保田さんの記憶はここで途切れる。

このあと2か月間、病状は一進一退を繰り返した。

治療を担当した医師は「一時は本当にもうだめだと、絶望しかけました」

関西医科大学総合医療センターの中森靖医師は、当時の状況をこう振り返った。

手術前とは異なり、今度は肺の内側に黒い空洞ができていた。

炎症が肺の中まで進み、内部の組織まで壊されていた。

原因はウイルスではなく、自分の体を守るために働くはずの「免疫」が暴走し、自分自身の体を攻撃。

重症化の要因の1つとされていて、久保田さんの肺の炎症もこれが原因とみられた。



肺の空洞は大きく、今回は塞ぐ手術をするのも困難な状況だった。

生か死か 焦点となったのは薬の使い方。

焦点となったのは「デキサメタゾン」などの抗炎症薬の使い方。

抗炎症薬は、暴走する免疫の働きを抑制することで炎症を抑える。

特に重症患者では、薬の投与後、深刻な肺炎から回復するケースも報告されていました。

一方、抗炎症薬で免疫の機能を下げると別の問題が生じる。

体を守っていた免疫が働かなくなるため、細菌などに感染しやすくなってしまう。

実際、抗炎症薬を使った後に細菌感染が起こり、症状が悪化して、死亡するケースが相次いでいた。

どのタイミングでどの薬剤をどう使うのか、患者の生死に直結しかねない重い決断が迫られる。

中森医師は、深刻なダメージを負った久保田さんの肺の炎症を抑えるため、

リスクを承知で重点的に使う決断をした。

一方、細菌などの感染を抑える手立ても講じた。


抗菌薬の投与に加え、細菌感染の経路になりやすいカテーテルの管を交換する頻度を、

1週間ごとから3日ごとに増やすなどして対応。

久保田さんの肺は少しずつ回復に向かっていった。



心配していた細菌感染もなんとか抑えられ、肺炎は入院から1か月半がたった7月中旬には落ち着いた。

そして、最後の難関 ECMOと人工呼吸器をどう外すか。

久保田さんは、このときまでに2回、ECMOを取り外していた。

しかし、いずれも直後に容体が悪化し、再び装着するということを繰り返していた。

中森医師はこうした経過から、併用している人工呼吸器に原因の一端があると考えた。

3回目となった今回は、人工呼吸器を先に外す決断をした。

人工呼吸器を先に外すことで回復につながったというケースが報告されていたことも、決断を後押しした。

中森医師の決断は功を奏し、久保田さんはこの2週間後、一般の病棟に戻ることができた。

久保田さんの生死を分けたのは、厳しい状況に追い込まれても解決策を見いだそうとし続けた、

医療チームの姿勢だった。

中森医師。

「肺の中に空洞ができ、手術もできないとなったときは本当に治療の限界を感じました。

最後の手段だと思い抗炎症薬を使いましたが、回復までの過程は奇跡としか言いようがありません。

諦めずに治療にあたれば治るんだということを、改めて久保田さんに教えてもらったと感じています」

と語った。

NHK(大阪拠点放送局 記者 稲垣雄也 清水大夢)