京大ほか国公立大で起きている「ヤバすぎる事態」
週刊現代, 田中 圭太郎
莫大な予算を投入する代わりに政財界が大学運営の舵取りをする『国際卓越研究大学』の制度が、
令和6('24)年度からの導入を目指して進められている。
経済安全保障に大学の教育と研究が組み込まれるなど、大学を国策に沿って統制しようとする動きも加速。
大学のあり方を大きく変えてしまったのは、小泉政権下で行われた'04年の国立大学法人化と私立学校法の改正だった。
国立大学は法人化により自主性や独立性が確保できるとされていたが、
実際には運営費交付金が10年にわたり削減され、自主性も独立性も侵害されている。
学長選考では教職員による選挙が廃止され、「学長選考会議」が決定する仕組みに変わり、
事実上、教職員の意向は学長選に反映されなくなった。
(悪事には必ずこの方の顔がある)
私立学校法の改正では学長ではなく、経営責任者である理事長を学校法人のトップに位置づけたことで、
思いのままに大学を運営する理事長も現れている。
この流れに拍車をかけたのが安倍政権下の'14年に行われた学校教育法改正だった。
教育や研究にかかわる事項について審議するための機関だったはずの教授会は、
学長による諮問機関へと格下げとなり発言権を失った。
同時に行われた国立大学法人法の改正では、学長の選考方法自体を学長選考会議が決められるようになっている。
委員の多くは学長が任命するため、学長は独裁が可能だ。
その結果、トップの任期を撤廃したり、執行部が独裁化や私物化に走ったりする大学が増えている。
国の方針に逆らったトップが解任されてしまった例もある。
ガバナンス改革と称してきたが、実際は完全な改悪である。
また、国策の失敗により起きている問題はこれだけではない。
全国で大学執行部と教員や学生との間の訴訟が急増しているのだ。
特に異常な訴訟が起きているのが京都大学だ。
京都大学は自由な学風を持った大学として知られている。しかし、その学風は「変質した」と教員や学生は口を揃える。
その一つが、大学のキャンパス内に建つ学生寮、吉田寮の問題だ。
センター長や教授によるによる複数の職員に対するパワハラも発覚。
多くのスタッフがパワハラを受けていた実態を、被害者と山形大学職員組合が調査。
一方で、教授らによる国立研究開発法人などから獲得した研究費約3000万円の不正使用が明らかになった。
不正への加担を拒否したスタッフもパワハラを受けていた。
山形大学は'22年3月にようやく不正使用を認めた。しかし、パワハラに関しては否定。
調査に当たった教職員は「山形大学の執行部にはコンプライアンスの意識が欠如している」と憤る。
これが天下り学長をいち早く受け入れ、予算の獲得に奔走した大学の実態なのだ。
山形大学では'07年、文科省事務次官を務めていた結城章夫氏が、退任のわずか20日後に学長に選出。
文科省OBの国立大学学長は初めてだった。
'04年以降、運営費交付金が削減された国立大学だけでなく、私立大学も専任教員を減らしており、
非常勤講師が切り捨てられる事態が進んでいる。
18年に非常勤職員が大量に雇い止めされたのが東北大学。
「国際卓越研究大学」の認定は国が「稼げる大学」を支援するシステムで、
政府が創設した10兆円ファンドの運用益を、認定した5〜7大学に分配する制度。
運用益は年間3000億円を見込み、昨年12月から募集が始まっている。
ただし、大学運営のモニタリングは内閣総理大臣と財務大臣のほか、
閣僚と財界関係者らで構成される内閣府総合科学技術・イノベーション会議が行う。
大学の最高意思決定機関も新たに設置され、大学法人のトップは文部科学大臣が任命する。
大学が政財界に完全にグリップされることになるのだ。
ここで触れたトラブルはあくまで氷山の一角だ。
国策の失敗を認めることもなく、さらに大学という最高学府を機能不全に導く施策が推し進められようとしている。
まさに国家の存亡にかかわる危機なのだ。
この愚行を、今すぐ止めなければならない。