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​袴田事件” 高裁 再審認める決定。

57年前、静岡県で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で、死刑が確定した袴田巌さん(87)。

東京高等裁判所は13日「有罪の根拠とされた証拠に合理的な疑いが生じた」と判断。

再審=裁判のやり直しを認める決定をした。



9年前、静岡地方裁判所が再審を認める決定を出し、袴田さんは死刑囚として初めて釈放されたが、

その後の東京高裁は再審を認めず、最高裁は再び東京高裁で審理するよう命じていた。

2回目となる東京高裁の決定が13日出され、死刑判決の決め手となった証拠「5点の衣類」について、

「袴田さんが犯行時に着ていたという確定判決の認定には合理的な疑いが生じる」と指摘。

さらに「衣類は第三者が隠した可能性が否定できず、事実上、捜査機関による可能性が極めて高い」と、

証拠の“ねつ造”の疑いにまで言及。

検察は不服があれば今月20日を期限に最高裁判所に特別抗告することができるが、

弁護団は「袴田さんは87歳で、審理を継続させることは無用の負担と苦痛を与える」として、

東京高等検察庁に対し特別抗告しないよう申し入れた。

決定が確定すればやり直しの裁判が開かれ無罪に大きく近づくため、今後は検察の対応が焦点となる。



釈放前から東京拘置所内の巌さんを支援し、釈放後も同居して寄り添ってきた姉の秀子さん(90)は、

「この日が来るのを待っていました。ついに来ました」と喜びをかみしめた。

「巌にすれば当たり前のことが、57年もかかった。願っていたことが現実になって、こんなにうれしいことはない」と笑顔を見せた。

巌さんは14年に釈放された当時、長期の身柄拘束で生じるとされる幻覚や妄想などの「拘禁反応」が強かった。

自分だけの世界に閉じこもっているような状態が続いていたが、1年ほど前から表情が明るくなり、笑顔を見せるなど変化がある。

秀子さんによると、現在の巌さんは再審請求が続いていることは理解しているようだが、

「裁判はもう終わった」「事件は警察のうそ」などと言い、話題にするのを嫌がるという。



1968年、1審の静岡地裁は、45通の調書のうち44通は自白を捜査官に強要された疑いがあるとして証拠として認めなかったが、

「5点の衣類」が有罪の証拠だと認定し、袴田さんに死刑判決を言い渡した。

2審の東京高裁と最高裁でも無罪の主張は退けられ、1980年に死刑が確定。

翌年の1981年、袴田さんの意を受けた弁護団は再審=裁判のやり直しを裁判所に求めたが、

2008年、最高裁で再審を認めない判断が確定。申し立てから実に27年がたっていた。

2回目の再審の申し立てで、2014年、静岡地裁は再審開始を命じるとともに、

袴田さんの死刑の執行を停止する決定を出した。

しかし、検察が不服として即時抗告。東京高裁は地裁と逆の判断をして再審を認めず、

最高裁は「審理が尽くされていない」として再び高裁で審理するよう命じた。

異例の判断の裏に何があったのか、当時の裁判長が取材に応じた。

袴田さんは当初、無実を訴えたが、逮捕から19日後の取り調べで自白。しかし、裁判では再び無罪を主張。

事件発生から1年余り後、すでに裁判も始まっていた時期に、みそ製造会社にあったタンクから血の付いたシャツなど「5点の衣類」が見つかる。

最大の争点は、有罪判決の決め手となった証拠「5点の衣類」

犯人のものなのか、それとも“ねつ造”されたものなのか。

判決では袴田さんが犯行時に着ていたものと認定されたが、現場近くのみそタンクの中から衣類が見つかったのは、

袴田さんが逮捕されてから1年以上も後だったため、弁護団は「逮捕されたあとに別の誰かが入れたものだ」として、ねつ造された証拠だと主張。

静岡地裁の審理では衣類についた血痕のDNA鑑定が行われ「袴田さんのDNAとは一致しない」とする鑑定結果が出ていた。

当時、静岡地裁で裁判長として袴田事件の審理にあたり、袴田さんを釈放する決定を出した村山浩昭元裁判官(66歳)。



おととし退官。いまは弁護士として裁判に携わっている。

裁判官が判決や決定を出すために話し合う「評議」の内容は公にしてはならないと法律で定められている。

しかし、あの異例の決定がどのように生まれたのか知りたいと取材を申し込むと、

「墓場まで持って行かなければならないこともある。その前提でいいなら」と話をしてくれた。

村山元裁判長

「証拠の開示がいかに重要かというのは過去の例からも知っていたので当然だと思いました。

前任の裁判長の功績である程度開示が進んでいたこともあって違和感なく検察にも強く言うことができました。

『5点の衣類』についても『写真だけでなくネガも出してほしい』と散々言って検察官は『あれば出します』と言っていたんですが、結局『ない』と。

その後の高裁の審理で『警察署にありました』と出してきましたけどね」

村山元裁判長は袴田さんが求めていた再審開始を認める決定を出し、同時に「拘置の停止」、

つまり異例の拘置所からの釈放も命じた。

再審開始を認めた場合の条文には「刑の執行を停止することができる」という記載はあるが、

死刑囚を釈放できるかどうかまでは書かれておらず、解釈も分かれていた。

前例がない判断に不安や恐怖はなかったのかと尋ねると「それはありました」という村山さん。

それでも決断したのは2つの確信があったからだという。

「決定に書いたように、最大にして唯一の証拠と言ってもいい『5点の衣類』は捜査機関によるねつ造の疑いがあると考えたのが1つ。

もう1つは、袴田さんは一体何年拘束され、このまま拘置が続いたらどうなるのかと思ったことです。

実は私は東京拘置所まで袴田さんに会いに行っています。

本人から直接意見を聴き、心身の状態がどうなっているのか知りたかったのですが、袴田さんは会ってくれませんでした。

看守さんから伝えてもらっても『袴田事件はとっくに終わった』とか『自分は魔王になった』『神様だ』などと言って、

精神的に追いこまれていて拘置所の人も心配していました。

私が調べた限りでは裁判所が拘置の停止を命じた例はなく、解釈上も死刑の執行は止められても、

拘置は止められないと理解するのが普通だったんですけど、果たしてそれでいいのかなと。

裁判官は判例などを重く見るので、確立したやり方については自信を持ってやりますけど、

新しいやり方は一種の冒険です。そういう意味ではある程度確信がないとできないです」

再審の手続きは刑事訴訟法で定められていますが、条文は19しかなく、

しかも大正時代から一度も改正されていません。

審理の進め方などの詳細について定めはなく、裁判官の裁量に任されているのが現状です。



私たちは最後に、「長年の裁判官人生の中で袴田事件はどんな存在か」と尋ねた。

すると村山元裁判長は、ひとつひとつの言葉を丁寧に紡ぎながらこう答えた。

「大変な事件でしたが考えれば考えるほど『こういうことはあってはならない』『もっと早く正されなければいけなかった』と思いました。

一緒に審理した裁判官2人とは『とにかく一生懸命やろう』としょっちゅう話していて、

決定を出すときにはみんなして『こんなもの絶対に許しちゃいかん』と怒っていました。

元裁判官としては、自分のやった裁判がひっくり返されたら大変辛いですけど、

それでもやはり救済されるべきものは救済されないとおかしいと思います。

私にとっては、再審法の改正という今後の人生の課題まで与えてくれた事件でもありますし、

ひで子さんに会えたことは一生の喜びです」



東京高裁の決定が出る3日前の3月10日、袴田さんは87歳の誕生日を迎えた。

去年の夏ごろから長く歩くことが難しくなり、さらに糖尿病を患い、日常生活では介助が必要な場面も出ている。

袴田さんを支え続け、ともに暮らすひで子さんも2月で90歳になり、去年から毎月、医師の往診を受けるようになった。

人生の大半を再審に費やしてきた2人。

司法の判断に翻弄され続け、袴田さんは今も“死刑囚”のまま。

ひで子さんは「真の自由を与えてほしい」と強く願い続けている。

ひで子さん、

「いつ死んでも良い人間だもの、年で言えばね。あたしもそうだけど、巌もそう。

いつ何があっても覚悟しているけど、再審開始を見届けにゃ、死ぬにも死ねんよ。

今はなんも言わんけど、巌の48年はすさまじいもんだと思う。死刑囚でなくなったよって伝えてやりたい。

それだけです」

NHK



‘@村山氏のような裁判長が増えれば冤罪も減るだろう。

だが、裁判官と検察官は役人同士、関係性は深いのが実態だ。

裁く人によってその人の人生が左右される。

冤罪などつくってはならない、絶対に。

権力の面子で無罪の犯罪者を生みだしてはならない。


検察官や裁判官は深く強く肝に銘じるべきだ。