岸田総理の強固な決意は秘密裏に行われた。
(読売新聞)
岸田総理がウクライナの首都キーウ訪問を決断したのは2月下旬だった。
安全上の理由から情報管理を徹底し、計画は極秘裏に練り上げられた。
「今からウクライナに行きます。誰にも言わずに準備してください」
3月20日夜、インドの首都ニューデリー。岸田総理が滞在する「タージ・パレスホテル」で、
SPや医務官らは、政府関係者からこう告げられると、驚きの表情を浮かべた。
総理と一緒にキーウを訪問したのは、木原誠二官房副長官や秋葉剛男国家安全保障局長ら約10人。
ホテル内で訪問団に入るよう指示を受けた一人は、「体調が悪いから部屋で仕事をします」と同僚に伝え、訪問団に加わった。
それから約1時間後の午後8時過ぎ。首相らは、食材などを運ぶ資材搬入用のエレベーターに乗り込んだ。
ホテルをひそかに抜け出すと、定員10人程度の車でニューデリーの空港に向かった。
政府が当初公表していた日程では、21日午前に帰国の途に就くことになっていた。
岸田総理のキーウ訪問は、計画が浮上しては消えることを繰り返した。
昨年12月に情報が外部に漏れると、岸田総理は「これでは行けない」と周囲に憤りをあらわにした。
「保秘の徹底ができないなら、外務省なんかいらねえ」総理は2月下旬、外務省の森健良次官に声を荒らげた。
外務省が、外部に非公表のまま訪問することは困難だとの判断に傾いていたからだ。
日本は今年、G7の議長国を務め、5月には広島市でG7首脳会議を開催する。
総理には「広島で被爆の実相を見てほしいと訴えている自分が、戦争の実相を見ないままでは議論を主導できない」との強い思いがあった。
2月に入ると、20日に米国のバイデン大統領、21日にはイタリアのメローニ首相が相次いでキーウを訪問。
ロシアのウクライナ侵略が始まった昨年2月24日以降、現職のG7首脳でキーウを訪れていないのは、岸田総理だけだ。
総理は「さすがにこれ以上は先送りできない」と判断し、2月下旬にインドの外遊に併せて、キーウに向かう決断をした。
外務省は首相官邸の指示を受け、山田重夫外務審議官ら数人のチームで準備を整え、3月20日の夜を迎えた。
ニューデリーの空港に向けて走り出した車は、土砂降りの雨による交通渋滞にも巻き込まれ、空港到着には30分以上を要した。
午後8時56分に総理らが搭乗したチャーター機はポーランドに向けて離陸。
7時間半近く飛行し、ポーランド南東部の空港に到着したのは、現地時間同日午後11時41分。
総理らはウクライナ国境に近いプシェミシル駅に車で移動し、列車に乗り換えた。
岸田総理は携帯電話を取り出し、与党幹部ら数人に訪問を告げた。
ウクライナとの国境が迫ると、訪問団全員が携帯電話の電源を切り、
電波を遮断する「シールドボックス」と呼ばれる機材の中に入れた。
携帯電話の電波を端緒に、居場所が特定されかねないためだ。
列車は、ロシア軍によるミサイル攻撃を警戒し、速度に緩急をつけ、時には停車することもあった。
細心の注意を払いながら目的地のキーウにたどり着いた。
21日にキーウで行われたゼレンスキー大統領との首脳会談で、
「こんなに遠くから来てくれたリーダーは岸田首相が初めてだ。本当にありがたい」と歓迎を受けた。
岸田っ総理はこの後の共同記者会見で、「何としてもG7広島サミットまでにウクライナで直接話し、
揺るぎない連帯を伝えたいと強く願っていた」と、力強く語った。
‘@林なんかいらねぇ!信用ならねぇ!