政治・経済、疑問に思うこと!

より良い日本へ願いを込めて。

​ 竹中平蔵「国民は我慢しろ!」

なぜ、竹中は日本国民を否定する。‘@


竹中平蔵氏「辛抱強さが無くなり文句ばかりで自分のことしか考えられない国民…これが今の日本人の姿なのか」

日本人から消えた辛抱強さ…すぐに文句をいう日本人。



日本はとても便利な国になりました。

夜中にお腹がすいたら近くのコンビニが空いていますし、一人くらしの人は好きな時間にシャワーが浴びられます。

私の幼少期など、家でトイレにいくたって順番待ちだったりと、夏は家が暑かったりと、さまざまな我慢が日常生活の中にありました。

しかし、昔は当然だった我慢が、今ではなくなりました。それは「いいこと」である一方で、かつて日本人にあった「辛抱強さ」というものがなくなってしまったように思います。

その結果、すぐに文句を言ってしまう国民になってしまったと感じています。

失われた30年といわれる経済停滞期から日本は抜け出しておりません。それは端的にいえば日本の生産性が上がらなかったからです。

これは、岩盤規制で経済成長を阻害した政府、現状に甘んじてビジネスモデルの変革に対応できなかった企業・経営者の問題と認識されがちですが、日本人(個人)の問題もありました。

自分が頑張らなくても誰かがも解決してくる世の中に不自由さを感じなくなった日本人から上昇志向がなくなりました。

もちろん、全員がそうといっていることを言っているわけではありません。

しかし、日本人をマスでとらえればそういわざるを得ません。それは学生を見ていても明らかです。

今の学生のトップ層は私が学生時代に比べれば遥かに優秀でアグレッシブです。

しかし平均的な学生をみると、私たちの時に比べると明らかに力が低下しています。

ハングリーさもなければ、頭のキレもないように感じます。

何不自由なく育った彼らは現状に満足しています。つまり今いる自分の場所から更に上を目指す理由もないのです。



これは何も若者だけはありません。

高齢者にいたっても現状に満足しています。

ただ、現状に満足しているのにも関わらず、何か気に食わないことがあればすぐに文句を言ってしまう。なぜか。文句を言えば、自分が頑張らなくても誰かがも解決してくる世の中に日本はなったからです。

‘@昔の人も文句は言っていた。

ただ、日本全体が上昇志向だった。

確かに、竹中しの言うようにそれなりに潤った社会はある程度の高見で停滞した。

しかし、それを国民のせいにするのは努力しないで文句を言っている国民と似たようなものだ。

社会に出ても押さえ付けられ、出る杭は打たれ、ある程度のレールを走らないと弾き飛ばされる。

竹中しは他人事のように述べているが、そういう社会や教育環境を作ったのは、あなた方だ。

失われた30年の責任は政治にある。


そして、なんでも国民のせいにするのは、何かに付け文句を言う人たちと何ら変わらない。

便利な常套句だ。

今まで一生懸命働いて来た高齢者が満足する社会はいい社会だと思うが。