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古市憲寿「死ぬまで許さない社会はやっぱり違う」

古市憲寿し(36)が20日、自身のツイッターを更新。

”正義の暴走”が「いくつもの不幸な事件を生んできた」とツィート。

「死ぬまで(もしくは死んでも)誰かを許さない社会は、やっぱり違う。

何かの理由があるとして、糾弾し続けるのは違う」と、当たり前のことをツィート。



続いて「実際『正義』の暴走は、いくつもの不幸な事件を生んできた。

『あなた』は新しく誰かが傷ついたり、死んだりするのを見たいのだろうか。

そうではない社会の変え方というのもあるよね」と、意味不明の持論を展開した。

それはもしかしたら、いまエラそうに、新型コロナに対していろいろと述べているが、

古市しは当初「新型コロナは風邪のようなもの」と述べていたことを、

いまさら掘り返して言わぬようにと釘を刺しているのか。


古市しは19日の投稿で、東京五輪開会式の楽曲を担当し、

辞任したミュージシャンの小山田圭吾が、過去の雑誌で残虐な犯罪行為を披露していたことに言及。

ツイッター利用者からの「どのようにお考えなのか」という問いに、

「そもそも『いじめ』という言葉がよくないと思う」「『いじめ』のような形で加害者を糾弾するのは反対」と私見を述べた。

確かに、古市しの述べる通りで、小山田しが行った行為はいじめなどではなく、残虐な犯罪行為だ。

古市しはこの日の投稿も、小山田さんへの加熱する批判の在り方に一石を投じたいものと思われるが、

全くのお門違いもいいところで、かってに解釈して、ホリエモンなどと同様、

世間の逆方向を訴えて炎上させる、しの大好きな炎上商法だ。

だれも、死ぬまで(もしくは死んでも)誰かを許さないなどと言ってはいない。



平和の祭典である世界大会が日本で行われて、多額の国民の税金も使われている。

その音楽担当に、過去に、排泄物を食べさせた、無理やり自慰行為をさせたりとした、

到底あり得ない行為を行い、その後大人になって、そのことを自慢げに語っていた小山田し。

行っていた行為が想像を遥かに超えた残虐で、贖罪どころか自慢の行為だった。

雑誌でそれを楽しんでいたかのように、セカンドレイプ的にもう一度、被害者を傷つける行為を平気で行う。

繰り返し被害者を傷つけていた。

古市しなどが若者に影響力があるとしたらとんでもないことだ。

しや太田しの狂った考えが若者の間で蔓延したら、日本の未来は空恐ろしいこととなる。

政界中から総攻撃を食らう。

犯罪的なことを犯し、それを当たり前のごとく自慢する人間を重用する。

日本を絶対にそんな国にしてはならない。



そして私の予測通り小山田しには、さらなる悪行があった。

1996年発売の「月刊ギグス」2月号のインタビューで、

フリッパーズ・ギター」としてデビューする直前の出来事として、入院した時の話をしていた。

友人と一緒になって病室でギターを弾いて騒いでいたという。

「ふたりとも寝ないから、夜中にガンガンやってると、癌の末期患者の人とかの呻き声が、

『ウーッ』とかって聞こえて来る(笑)」と、末期がんの人を笑う。

さらに、「機械につながってるんだよ、そういう人とかって。『ピーン、ピーン』とかいう、

機械みたいなのがあって、夜中に『ピー!』とかって音が反応するの(笑)。

それで『ああ、今日もまたひとり死んだ』とか言って(笑)。

『夜中にあんたたちがギター弾いているからだ』って看護婦さんに怒られた(笑)」と、

死の瞬間も笑っていたという、とても考えられない精神の持ち主であることが良く分かる。

まさに芸術と狂気は紙一重ということを地で行く御仁だ。

個人的に応援するのは自由だが、公的な場に出ることなどはあり得ないことだ。

現時点でも、海外から批判を浴びているが、そのまま続けていたら、

日本オリ・パラは世界から大非難されること間違いなしの事案だった。

出場拒否の選手が出ていたかもしれない。

それくらい、人間的に、世界的に、大きな問題。