川瀬監督、東大で「プーチンを受け入れろ」
私は「目に見えないもの」への感謝を欠かせない時代の人たちの暮らしを体現して育ちました。
当たり前に思っていることの奥に「ものの真理」が隠されていることを信じて、突き進んでください。
一つの窓を見つめ続け生み出された一滴が、私の「世界の切り撮り方」として他の人たちの目に触れます。
逆にいうと、それ以外のことから誰も判断してはくれません。
だからこそ、小さくても自らのまなざしを獲得することはとても大切なのです。
今、世界はあるひとつのバランスを失って、かけがえのない命が奪われる現実を見ることとなりました。
「戦争」を世界から無くしたい。
しかし、ひとつの映画で戦争は無くなりません。残念ながら、世界は小さな言葉を聞いてくれません。
そう思わざるを得ない出来事が起こっています。
先ごろ、世界遺産の金峯山寺というお寺の管長様と対話する機会を得ました。
本堂蔵王堂には、山から伐ってきたままの大きな樹の柱が御堂を支えています。
それらの樹は全て違う種類で、それはまるで森の中に自らが存在しているかのような心地になるとのことでした。
なるほどその存在を確かめてみると、それぞれの柱がそれぞれの役割でそこにあって、
どれひとつとして何かと比べられることなく、そこにきちんと自らの役割を全うしているようです。
この世界観、精神性が今の自分に大きな希望を与えました。
節分には「福はウチ、鬼もウチ」という掛け声で、鬼を外へ追いやらないのです。
この考え方を千年以上続けている吉野の山深い里の人々の精神性に改めて敬意を抱いています。
管長様にこの言葉の真意を問うた訳ではないので、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。
管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?
例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。
けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、
それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。
一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?
誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?
人間は弱い生き物です。
だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。
そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。
そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。
令和4年4月12日 映画作家 河瀨 直美
‘@一つの窓を見つめ続けたせいで、考え方が矮小化されている。
いま、例えに出す話ではない。
そんなレベルの問題ではないことがウクライナで起きている。
いろんなものや考えを内包して世の中は成り立っていることは分かるが、
殺人者を受け入れることは出来ない。
人類が誕生してから現在まで、人は犯罪を否定し排除してきた。だから罰則がある。
人がなぜ犯罪を犯すか。その研究や思いも必要だろうが、
加害者にしてみれば理屈よりも殺害された肉親を返してほしい。
出来ないのであれば、罰して欲しい。
後進国であれば、同じような目に合わせることも選択する。
なぜなら、犯罪者をそのまま受け入れれば社会は成り立たないからだ。
窃盗をしても罰せられなければ窃盗をする人が増える。
相手が憎くて殺しても罰せられないのであれば、殺人者は増える。
理想郷で、自然界の世界と人間界の世界を同じに論ずることは、あまりにも現実と乖離する。
ウクライナの惨状を目の当たりにすれば、川瀬氏の演説は空虚に映るどころか、
わたしには、非道に侵略したプーチンを擁護するように聞こえ、空恐ろしく感じる。
川瀬氏も述べているように、この非道な侵略は映画でも宗教でも止めることは出来ない。
唯一の止める方法はウクライナが降伏するか、
侵略したプーチンが「終わり」と言わない限り停戦にならないという皮肉な状況に陥っている。
そして、プーチンを擁護(正当化)すれば、また新たな国が侵略されるという事を理解していない。
プーチンは12日、ベラルーシのルカシェンコ大統領と会談。
ウクライナへの侵攻後、初めてとなる記者会見を行った。
プーチンは「ウクライナでの軍事作戦は計画通り進んでいる」とし、
作戦の終了時期については「戦闘の激しさによる」と述べた。
プーチンは「悲劇だが他に選択肢がなかった」と侵攻を正当化。
「ウクライナとベラルーシとロシアはひとつの民族だ。ウクライナで起きていることは間違いなく悲劇だが、
他に選択肢はなかった」と強調。
その上で先月末にトルコのイスタンブールで行われた停戦交渉での合意から、
「ウクライナ側が逸脱した」としている。
何か合意したものがあったのか。
もしかしたら川瀬監督は自信のフェイクを擁護する姿と、
プーチンが全てフェイクだと突き進む姿を重ね合わせているのかも知れない。