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​ウクライナ避難民女性と日本の身元保証人にトラブル続発。

78人が日本から出国。

8月16日、在日ウクライナ大使館領事部に、次のようなメールが届いた。

「できるだけ早くウクライナに戻れるように手伝ってください。もうこの国にいたくありません。

早く帰りたいです。私は肉体的、精神的にとても疲れています。外国人に対する日本人の態度にはうんざり。

助けてください」

送信者は、ウクライナ北部出身のオレーナさん(仮名、30代)。



4月5日、林外相を乗せた政府専用機で来日した避難民20人のうちの1人。

以来、彼女は地方の農村部で暮らすことになった。

来日当初、その姿は地元のテレビや新聞などで大きく報じられた。

身元保証人とは、日本での滞在費、帰国旅費、法令の遵守を保証する人だが、法的責任はない。

一般的には親族や友人、知人が申請するが、ウクライナ避難民の場合、

面識がほとんどなくても身元保証人になっているケースもある。

この保証人とのトラブルが原因で、出国する避難民が相次いでいるという。

人里離れた山間部にある一軒家に連れて行かれたオレーナさんは、

「ここで一緒に暮らすんだ。いいね?」

身元保証人の高田さん(仮名、50代・医学者)からそう告げられた。



高田さんは、ある大学の准教授で、ウクライナの避難民を支援する基金の中心人物。

オレーナさんは高田さんと同じ屋根の下で暮らすことになった。

ウクライナからオンライン取材に応じた彼女は、

「まさか一緒に住むとは。本音を言うと望んでいませんでした。

ですが私には選択肢がなかったので、全てお任せという気持ちでした」

と振り返った。

オレーナさんは来日してから1か月半が経過した頃、高田さんと恋仲になった。

「彼の方から誘って来たので、そういう関係になりました。私も好意を寄せていました。

それからは一緒の部屋で寝ていました。近くには彼しかいないし、誰かに守って欲しかった」

そう語るオレーナさん。



だが、その恋もそう長くは続かなかった。

オレーナさんがある日、高田さんのスマホのメールを覗くと、

別の女性と交換していたメッセージにキスマークが添えられていたという。

問い詰めると、言い争いになった。以来、喧嘩を繰り返し、高田さんとの同棲が嫌になって隣の女性宅へ移った。

このままここで生きていくべきか。自問した結果、ウクライナへ戻ることを決めた。

帰りのチケット、そして基金からの支援金10万円を受け取り、オレーナさんは帰国の途に着いた。

ウクライナを支援しますと言いながら、こんなにひどい人だとは思わなかった。彼は偽善者です」



これに対し高田さんは、こう反論する。

「共通の知人からオレーナさんを受け入れて欲しいと頼まれたから受け入れました。

同じ家に住むのも、全く問題ないと。取材に関しては、彼女が嫌だと言ったのは断っていました。

地域の人たちで協力して彼女の面倒を色々見たのに。

彼女のころころ変わる言動には我々も振り回されました」

田さんの基金にはこれまでに1200万円の寄付金が集まった。

その中心人物でありながら、避難民と関係を持った事実については「まずかった」と認めながらも、こう釈明する。

「僕は独身ですから。メンタル面も含め、一緒にいたら情も湧きます。結婚前提の付き合いを考えていました。

ただ、携帯のメールを勝手に何度も見られたのは嫉妬の域を超えている。

問題になったメールへのキスマークはありません。彼女の被害妄想です」

「彼女は来日当初からPTSD心的外傷後ストレス障害)を抱えていました。

雷が鳴ると空爆音に、風切り音が空襲警報に聞こえ、精神的に不安定でした。

幻覚も出ました。全ての原因は彼女の病気にあります」

病気についてオレーナさんに尋ねると、彼女はウクライナに帰国後、

「精神に異常なし」という医師の診断書を取得し、私に送ってきた。



‘@医学者なら特にそういった状況は分かりそうなものだ。

それで持って受け入れたのではないか。

恋仲になる1カ月半の間に、オレーナさんの色んなことが分かるはずだ。

別のウクライナの女性アナスタシアさん(40代)は、来日直後から報道陣に押しかけられ、戸惑った。

「取材については事前に知らされていませんでした。翌日も朝から『インタビューだよ』と起こされ、

気分が乗りませんでした。保証人は単に注目を浴びるために、私たちを広告塔として利用したのです」

ある時、吉本さん(保証人)からこう怒鳴り散らされた。

「お金をたくさん使って支援をしているのだから、俺の言うことを聞け!」

これ以上の滞在は危険と判断したアナスタシアさんたちは、出入国在留管理庁などに支援を求め、

遠く離れたビジネスホテルへ「避難」した。吉本さんのもとに滞在したのはわずか1週間だった。

吉本さんは、暴言を吐いた事実は認めたものの、

「寄付者の善意を断ろうとしたので、つい強く言ってしまいました。

それに私は彼女たちの渡航費やビザ代、国内の交通費、ホテル代など総額100万円近くを負担していました」と主張。

自治体にも掛け合ったが支給は断られ、全額自己負担になった。

あまりのあっけない幕切れに、憤りを隠せない。

「これまでやってきたことは何だったんだろう」と憤る。



アナスタシアさんはその後、元いた自治体から支援金25万円を受け取り、

日本語を勉強しながらホテルに無料で宿泊している。

「ホテルから出されるお弁当も飽きてきました。働くこともできないし、散歩して暇を持て余しています。

そろそろウクライナに帰りたいです」

群馬県では5月、ウクライナ避難民の親子が身元保証人の滞在先から失踪。

関西地方でも8月末、やはり身元保証人とのトラブルから3人が帰国。

日本政府がぶち上げたウクライナの避難民支援だが、ほったらかしの様子が見える。

受け入れ体制のないまま受け入れた避難民保護は土台無理なようだった。

結局は、避難先の運不運で避難民の明暗が分かれる。

金を払うのも最初から分かっていたこと。

見返りを求めていたなら、それは大きな勘違いだ。

普通に生活していても習慣や言葉の違う異国の人との生活は難しい。

ましてや戦争で悲惨な目に合っている人たち。

傷ついたウクライナ人の心情に寄り添えない行為が横行しているようだ。

政府の責任は大きいのと、改めて難民保護の難しさが露呈している。