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茂木大臣、カタール国訪問も、退避要請無し。

茂木大臣は、「超ド級のアホ!」

カブールが陥落した15日、岡田隆大使はすでに逃亡。

17日に日本人大使館員12人は、大勢のスタッフを残し、英軍機で退避。



茂木敏充外務大臣は、8月23日、カタール国を訪問。

現地時間ムハンマド・ビン・アブドルラフマン・アール・サーニー副首相兼外務大臣と会談。

「第1回戦略対話」を行った。

冒頭、茂木大臣から、東京オリンピック競技大会でのカタール人選手の健闘を讃えつつ、

2021年は日・カタール外交関係樹立50周年という節目の年であり、

この機会に両国間の「包括的パートナーシップ」を更に深化させたい旨述べた。

また、茂木大臣より、来年のFIFAワールドカップの成功を祈念した。

これに対し、ムハンマド大臣から「戦略対話」の第一回会合を開催できたことを嬉しく思うと述べた。

また、東京オリンピックの成功に対する祝意が述べられた。

双方は、二国間関係について、良好な関係を一層発展させていくことで一致した。

湾岸情勢、中東和平、イランを含む中東情勢及び中国、北朝鮮等の、

東アジア情勢についても意見交換を行い、

茂木大臣から、拉致問題の即時解決に向けた理解と協力を要請したのに対し、

ムハンマド外相から支持を得た。

和やかな会談に終始したが、アフガニスタンからの退避の話は一度も出なかった。



‘@茂木大臣は、「超ド級のアホ!」と、山元教授が怒っていた。

なぜ、その時に、邦人らの退避を話し合わなかったのか。

カブールが陥落した15日、岡田隆大使はすでにアフガニスタンから脱出。

17日に日本人大使館員12人は英軍機で出国したが、大勢のアフガニスタン人らスタッフが残された。

カタールは26日(木)、これまでに4万人以上の人々をドーハに避難させたと発表。

「国際的なパートナーと協議しながら、今後数日間、避難の努力を続ける」と述べた。

国務省の当局者は15日遅く、米大使館のほとんどの職員が同空港の施設に移動しており、

大使館の敷地内の米国旗は降ろされたと明らかにした。

一方、フランスとドイツは15日、外交官などを空港に退避させており、

国外退去のためにカブールに軍の輸送機を派遣すると明らかにした。

駐アフガン韓国大使館の韓国人職員は、ソウルからの命令で8月16日にカタールに避難したが、

大使館公使は「アフガン人職員に救出を約束した」と外務省本部を説得し、22日にカブール空港に戻った。

この間も、職員たちとの連絡を欠かさなかった。



韓国、移送を22日には決定した。韓国軍機が8月23日に隣国パキスタンイスラマバード空港に到着。

アフガニスタンのカブール空港との間を往復した。

翌24日に移送作戦を指揮した韓国公使は、空港から10分ほどの場所を集合地点と決め、

「集合時間の30分以上前に来るとタリバンに見つかるから早く来ないように」と細かく指示した上で、

「時間に遅れたら飛行機に乗れない」と時間厳守を申し伝えた。

韓国公使は、タリバンと密かに交渉し空港への安全なバス運行の約束を得たが、

当日の検問で「アフガン人職員の持つ旅行証明書はコピーだ、原本でない」と、バスが止められたという。

10時間以上の交渉の末、大使館公使が旅行証明書の原本を空港の外で見せることで、ようやく決着。

冷房も切れ窓も開かないバスの中で、アフガン人職員家族たちは食事もなく15時間以上も閉じ込められ、

泣き声も聞かれたという。

それでもカブール空港に入った職員と家族らは、同日パキスタンイスラマバード空港に飛び、

本人確認を済ませ、第一陣が25日に韓国に出発した。

最終的に韓国入りしたアフガニスタン人は、390人だった。

その後、茂木大臣は9月5日のNHK日曜討論」で、

アフガニスタンに残された日本大使館の現地スタッフら約500人の退避交渉などにあたるため、

上村司政府代表(中東担当)を、カタールのドーハに近く派遣することを明らかにした。

「何を平気な顔で言ってるんだクソ野郎!」と、吠えたのは、山形教授。

茂木大臣は外務大臣の資格なし。議員も辞めてくれ。

総理大臣候補なんてチャンチャラおかしく、怒りに震える。