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​魚を「放流」しても、数が増えないどころか「減ることさえある」

2007年、放流事業の根幹を揺るがす成果がScience誌に発表された。

北米・オレゴン州で行われたその研究は、遺伝情報からニジマスの親子関係を網羅的に調べ、

自然河川で放流魚が残した子供の数をはかった。

その結果、放流魚はほとんど子供を残せていないことがわかった。

問題は放流魚の育ち方にある。放流魚が育つ人工飼育環境は、自然の川からかけ離れている。

放流魚は、そうした特殊な環境のもとで飼育されるが、その過程で「特殊環境におけるエリート」が選抜されてしまったのだ。

このエリートたちは外ではうまく生きられなかった、というのが事の顛末である。



北海道の保護水面(漁業、釣りともに禁止されている川)では、サクラマス資源の保護・増殖のために様々な規模で放流が行われている。

本当に放流に効果があるならば、放流数の多い川ほどサクラマスは多いはずである。

実際はその逆であった。1999〜2019年に行われた資源量調査のデータを分析したところ、放流数が多いほどサクラマスは減る傾向にあったのだ³。

それどころか、同じ場所にすむ他の魚種の密度も低くなり、中には淘汰されていなくなるものも見られた。

放流しても魚は増えない。直感に反する結果のようだが、生態系の仕組みを考えるとなんら不思議ではない。

生物には生活のための住処や食べ物(資源)が必要であるが、それらには限りがある。

そのため、生物同士で資源をめぐる競争が起きる。

言い換えると、生態系は無限に生物を受け入れられるわけでなく、支えられる数が決まっている。

過剰に放流すると生物同士の争いは激しくなり、厳しい生存環境に追い込まれることが予想される。

あまりにも競争が激しいため、子供を残す前に死んでしまう個体もいるだろう。

こうした状況を考えると、放流によって次世代の子供の数が減ってしまうことは、十分に起こりうるのだ。



北海道の保護水面のデータを振り返ってみると、毎年24万尾ほどのサクラマス稚魚を放流している川もある。

幅にして10mにも満たない川に、これだけの数を支える「器」があるようには思えない。

「放流しても魚は増えない」という結果の背後には、放流に伴う競争の激化があると考えるのが妥当だろう。

こうして考えると、逆に放流事業がうまく機能したケースもきれいに説明できる。

例えば、世界的にも数少ない成功事例であるシロサケの放流事業について考えてみよう。

サクラマスとシロサケはともにサケの仲間であるが、習性は大きく異なる。

サクラマスは最短でも1年は川で生活するのに対し、シロサケは生まれてすぐに海へとくだり、遠くベーリング海まで回遊する。

シロサケは海を広く使うので、大規模な放流に耐えられるだけ生態系の器が大きかったとみることができる。

ただし、これまで放流事業がうまく行っていたとしても、今後もそれが続くとは限らない。

シロサケの放流は大きな成功を収めたが、最近になり歴史的不漁に陥っている。

気候変動の影響であると類推されているが、放流の遺伝的影響が今になってあらわれている可能性も考えるべきだろう。



先に述べたように、放流魚は自然界でうまく生きられないことが多い。

何十年も放流を続ければ、こうした放流魚の特徴が野生集団にも遺伝を通じて浸透するだろう。

これまで以上に環境の変化が著しい現代において、このような魚たちは生き残ってゆけるのだろうか?

放流が必要な場合は確かにある。例えば、その地域から絶滅してしまった種の再導入や、遺伝的な多様性が失われた集団では、放流なしに回復は望めない。

しかし、生態系の器が十分に大きくない限り、放流は期待と真逆の結果を招きかねない。

根本的な環境問題を改善せず、盲目的に放流を続けていては、真の生物多様性保全・持続的な水産業から遠のくばかりだろう。

本当に放流しか手段がないのか。今一度、問い直す必要がある。

(照井慧 生態学者)

‘@胆略的な考えや思い込みと真実は違うこともあるということだ。

やはりエビデンスは大事だ。


勉強になる。