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​仏・最後の脱出時間は、「大使館員と軍人の出発に使われる」

フランスのカステックス首相は、27日で、アフガニスタンからの避難はすべて完了すると、

8月26日の朝に述べた。

「フランス人、何らかの形で軍に貢献したアフガニスタン人と家族、

芸術家、ジャーナリスト、約2500人を送還しました」と、カステックス首相は、RTLで発表。

「明日27日の夕方からは避難をすることができなくなります」とも述べた。

期限は31日とされているが、流れる情報通り27日以降は難しいことを、フランスは認識していた。

8月24日に行われたG7のリモート会議では、同盟国側は8月31日の撤退期限を延長するよう、

米・バイデン大統領に求めた。しかし、同大統領は期限に固執

マクロン大統領も期限延長を推してはいたものの、アメリカの主権者の決定に「合わせる。

それはアメリカ人の手に委ねられている」と述べた。



フランスの外交官は「26日(木)夕方までには退避は完了する予定だ」と答えていたが、

それが半日から1日延びた。

25日(水)から26日(木)にかけての夜、アメリカ、オーストラリア、イギリスから、

空港周辺での「非常に高いテロ攻撃」の脅威が報告された。

この3カ国は、自国民にその場を離れ、さらなる指示を待つように勧告した。

フランスの退避が少し遅れたのは、テロ情報のせいだろう。

8月15日カブールが陥落。岡田隆アフガニスタン大使はすでにアフガニスタン国内脱出。



8月16日にフランス大使館員が、カブール空港に大使館を移した。

8月17日夜、フランス大使館に避難させていた自国民やアフガニスタン人・外国人関係者とその家族が、

仏警察の護衛のもと、車で大挙して大使館を出る。

日本は、大使館員12人全員、英軍機で出国。

8月19日「アフガニスタンの友人たちへ:フランス大使館は空港に移転しました。

したがって、そこではビザの手続きはできません。あなたの安全のために、すぐにそこから退避してください」

この内容は、英語とペルシャ語で発信された。

「おとといの夜(17日)、フランス警察が護衛して、カブールの安全地帯のフランス大使館から、

フランス人、アフガニスタン人、外国人の家族を脱出させました。

大使館の外交・領事団が彼らの面倒を空港で見続け、彼らは退避します」



8月22日フランスへの移送が始まる

「01:30にカブール空港を離陸。空港に入ることができた163人のアフガンの友人たちは避難しました。

さらに他の69人が04:30に続いて避難します。

フランス大使館は、アフガニスタンの自由の戦士たちを守るための任務を続けています」

オランダと協力したものもあったようだ。

8月23日、フランス軍が、アメリカ軍と共に、カブールのEU代表部(大使館に相当)のスタッフや家族の退避を担当。

「今朝、フランスの特殊部隊が、アメリカ軍と連携して、

カブールの欧州連合EU)代表部のスタッフ260人を空港内に入れることができました。

搭乗前にフランス大使館の待機ゾーンに迎えられました。ブラボー、EU

日本はやっと、岸防衛大臣「在外邦人等の輸送」を命令。

8月25日、テロに気をつけろという情報がもたらされる。

「今朝のアビー・ゲート。フランス大使館の警察官と、特殊空挺部隊ナンバー10の軍人が、

アフガニスタン人の避難を続けようとして、朝6時から現地にいます」

日本はC2輸送機1機がカブール空港に到着。

しかし、彼らは自力で空港に到着しなくてはならず、到着できないため、輸送は行われず。

また、この日の夜には、C130輸送機2機が、隣国パキスタンイスラマバードに到着。



8月26日夜、アビー門と近くのホテル辺りで、テロが起きる。

「私たちのすべてのアフガニスタンの友人たちへ。

空港のゲート付近にいる方は、大至急離れて、安全を確保してください。

2回目の爆発の可能性もあります」と発信。

未明「犠牲者に思いをはせます。私たちの近しい人たちへ。

今日、フランスの兵士、警官、外交官はだれもアビー・ゲートで働いていませんでした」

爆発があったものの、無事を報告。

8月27日

フランス、予定より半日から1日遅れて、全員避難、任務終了。

フランスは、同盟国と協力しながらも自分たちの計画を着々と進めた。

日本は日本人1人を隣国パキスタンイスラマバードへ輸送。

アフガニスタン人については14人をパキスタンに運んだものの、

これはJICAや日本大使館の現地職員ではなく、第三国から移送の依頼を受けた人たち。



‘@韓国も、韓国政府に協力し働いていた現地人とその家族391人を、無事にカブール脱出に成功。

22日に米国政府は、友好国に「バスモデル」というものを提案した。

米国が取引しているアフガニスタンのバス会社に協力者を乗せ、

そのバスを米軍とタリバンが一緒に守っている検問所を通過する。

27日夜、NHKで、「日本人やアフガニスタン人スタッフらを乗せたバスが、26日に空港に向かったが、

爆発が見えて引き返した」との報道があった。

当初、私は作り話だと思った。27日では遅すぎる。米軍はまだ空港外の現地で動いていたのか。

なぜ韓国と異なり、このように遅くなったのか。テロの警戒情報は25日からあり、

メディアにより26日には一般人ですら知り得た情報なのに、なぜ26日に空港に向かったのか。

疑問だらけなのだが。




いずれにしろ、アメリカやフランスは、他国民も助けながら自国民を避難させた。

日本の外務省は、アフガニスタンの首都カブールにある日本大使館を15日付で一時閉鎖し、

大使館職員12人は、17日に、アラブ首長国連邦UAE)のドバイに、我先に退避した。

イラクの時は、超法規的措置で「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」と、時の総理が迷言を吐いて、

砲弾が飛んでくる中、米軍の後方支援を実行した。

米軍は、仲間を助けるために、危険を承知で適地の中枢に向かう。

だから国民からも軍人からも信頼がある。

いつ見捨てられるか分からない兵士が、命懸けで戦うはずもない。

見捨てられた国民が、国の言うことを聞くはずもない。

危機管理能力の前に、助ける気持ちがあるかないかだ。



大使館員は先に退避したのに、その大使館員や日本国に貢献した職員が、

なぜ置き去りにされているのだ。