「五輪指定病院になり、転院を求められた」
「『気が滅入ってしまうので面会に来てほしい……』。
電話でのそんなやりとりが、父との最後の会話になるなんて……」
そう静かに語るのは、首都圏に住む鈴木佳奈子さん(仮名・38)だ。
8月初旬、73歳になる最愛の父を心不全で失った。
入院先の病院での突然死。“看取り”すらできなかった。
「父は、今年4月からコロナとは別の病気で都心の病院に入院していました。
急性期の病院なので、少し症状が落ち着いたら療養型の病院に転院しましょうと、
以前から言われていたんです。
でも、7月に入ると、急に看護師さんから、毎日のように,
『いつ転院できますか? 早く転院先の病院を見つけてください』と、急かされるようになって」
佳奈子さんの父は、病状は落ち着いているものの、病気による体力の衰えが激しく合併症もあったため、
すぐの転院には不安があったという。
「でも、私と母がお見舞いに行くたびに、看護師さんが転院の話をしてくるんです。
どうしてそんなに急ぐのかと思ったら、病院がオリンピックの指定病院になっていたようで。
選手や関係者に何かあった場合に受け入れ用のベッドを空けておかないといけないから、
可能な人から転院を進めているという話をソーシャルワーカーさんから聞きました」
佳奈子さんは、母と共に転院先を探したが、希望している病院の病床が空いていなかった。
それでも、入院中の“大会指定病院”からは、早く退院するように再三促された。
「あと1週間くらい待てば、希望していた病院が空く予定でした。
でも、転院を急かされていたので、いったんつなぎの病院に転院してから、
希望する病院のベッドが空いたら、再度転院することになったんです。
でも、父は転院するのがとても不安だったみたいで、転院の直前に少し体調も崩していました」
それでも、早くベッドを空けなければという思いから、
半ば追い出されるかのように転院に踏み切ったのが、オリンピックが始まった3日後の7月26日。
「つなぎで入った病院は面会が一切禁止。以前は、毎日のように会いに行っていたので、
父はすごく不安がっていました。精神的にも参ってしまって、ご飯も食べられない、と……。
電話をするたびに声が弱々しくなっていくのがわかりました」
「病院から電話がかかってきて。今朝、お父様がお亡くなりになりました、と……」
突然のことで、なにがなんだかわからない佳奈子さん。
母と共に急いで病院に駆けつけると、すでに父は冷たくなっていたという。
「父は、慣れない病院で、ひとりぼっち、どれほど心細かったことか……。
オリンピックがなかったら。コロナ禍でなかったら。
父はもう少し長生きできたんじゃないか、って思うんです」